February 22, 2014
1. 「路次の愉悦」By Mr. Akiyama
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Akiyama.
はじめに
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Written & Painted by Akiyama
('13.12.22.)
ビジネス社会を卒業して、今年(2013年)で十年目を迎えま した。
その間、画板を抱えて、欧州・アジア十カ国と日本各地 をスケッチ旅行して過ごしました。そして描きためた絵の数が 1000 枚に達しようとしています。
今夏、その中から「路地」と 「水辺」をテーマとして取り上げ、自主出版を致しました。同時 に大阪・道頓堀「ギャラリー香」で個展も開催させて頂き、多 くの方々にお越しいただきお世話になりました。
ロミーゴ文集 では、本文より一部抜粋して掲載したいと思います。
題名「路地の愉悦 水辺の至福」
雅号「路次健」(ろじけん)
出版社「㈱パレード」
定価「2700円」(アマゾンで販売中)
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*雅号の「路次健」の由来は下記の与謝蕪村の句から採っ たものです
桃源の
路次の細さよ
冬ごもり (蕪村)
1. ブラーノ島の路地(ヴェネチア)
ブラーノ島は、レース手刺繍で有名な島である。
家の壁々が赤、黄、緑・・とカラフルに
彩られている。
表通りは、レースのハンカチなどを売るお店が
軒を並べ、人通りも多い。
けれども一歩、横道に入ると路地が入り組み、
静かなときを刻んでいる。
どんなに美しく楽しげに飾られた街であっても、
その裏側に入れば、現実に直面した生活の中で、
哀しい出来事も 小さい争い事も日常的に
起こっているはずである。
でも人の生活とは、その光と陰の両面があって
はじめて 味わい深い人生といえるのではないか。
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2. フラメンコ・ダンサー(アンダルシア)
フラメンコは、インド辺りからの流浪の民の
ジプシー(ヒターノ)によって始められたという。
それもアンダルシアの下町路地で暮らす中で
独自の踊りとして醸成していったものだ。
黒い髪、浅黒い肌、引き締まった体がフラメンコの
激しい動きにぴったりなのだ。
(この踊りに関しては、白人の豊満な姿態は、
どうしても似合わない。)
カンテ(Cante)と呼ばれる歌と
トケ(Toque)と呼ばれるギターが
踊りの地方(じかた)として場を盛り上げる。
能や日本舞踊においての地方と同じである。
バイラオーラ(女性の踊り手)が、
眉間にしわを寄せ、
激しく腰を揺らせる姿には、
女の情念のようなものが
感じられ、こころが揺さぶられる。
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3. マカオ 聖ポール天主堂跡の広場
朝早いこの時間、大勢の人達が、
熱々のお粥を啜っている。
三々五々に分かれたテーブルでは、
出勤前の中年の労働者達や地元の若いカップルが
夢中になって食している。
聖ポール天主堂(大三巴牌坊)は、
ポルトガルがこの地を
支配していた頃の大建造物だったが、
主な建物は焼け落ち、現在は背の高い
ファサードだけが残っている。
大寺院の近辺では、どこの国でも
下町風情の門前街が拡がっているものだ。
この地区も例外でなく、ひび割れた壁に囲まれた
小さな広場で屋台が軒を並べている。
でもこうした路地に迷い込むと不思議に
居心地がよく
こころが癒されるのは、どうしてだろう?
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4. 釜山港の路地(韓国)
釜山港に限らず、港には路地がつきものである。
そしてどこか猥雑な雰囲気が漂う。
人間の体を見ても、いつも表向きの顔と
秘すべき部分があるのと同じように
人間のこころにも光り輝く部分と猥雑な部分の
両方が必要なのだと思う。
老人のための理想郷として、清潔で光り輝く
街づくりをして 人集めをする例がときたまあるが、
猥雑な部分のない「ニュータウン」は、息が詰まる。
人間とは、不思議なものではないか。
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5. 新天地楽園(金沢)
金沢一の繁華街、香林坊の一角に、
「新天地楽園」 と呼ばれる路地がある。
そこは戦後、間もない頃によく見かけられた
バラック立てのような飲み屋街がある。
会社時代の後輩が、金沢支店に勤めていて、
いきつけの店があるというので、一緒に訪れた。
「赤城」という名で、その名前にふさわしく
男っぽい風情が漂う店だ。
無口で頑固を絵に描いたような親爺が、
ひとりでこの小料理屋を守っている。
味だけは確かなもので、
うまい肴をあてに男同士で 呑む酒の味は、格別だ。
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6. セーヌ川の中の島(フランス)
セーヌ川といえば、パリ市内を流れる川
としての 認識が一般的だろう。
『パリの空の下、セーヌ流れる』の唄のように・・・・
でもセーヌ川はパリから北西の方向に延々と流れ
イギリスとの海峡に注ぎこむ大河である。
パリ郊外を北に向かい蛇行を繰り返し
ゆったりと流れてゆく。
途中にいくつもの中の島が点在する。
こうした中の島のひとつで
古い石作りの家のなかで住む。
独り静かに読書や絵画制作にいそしむ。
ときには食料の買い出しや気晴らしの
一杯呑みに舟で対岸に漕ぎ出だす。
遊行期の生活としては、ちょっと上等の部類に
入るのではないか。
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7. 中国・雲南省 香格里拉(シャングリ・ラ)
玉龍雪山や梅里雪山など六千メートル級の山々からの
清流が、 原野をゆっくりと潤している・・・・・
羊や牛に似た”ヤク“が一日中、草を食んでいる・・・・・
涼しい風が木々の葉を揺らしている・・・・・・
中国・雲南省の北部、香格里拉(シャングリ・ラ)は、
「理想郷」のシンボルとしての有名な村だ。
この名前の由来は、ジェイムス・ヒルトン
(米国の小説家1900~1954)が 書いた小説
『失われた地平線』の中に出てくる
理想郷の名前である。
チベット族の言葉で「こころの中の太陽と月」
という意味だとも言われている。
ここの村人達が、この小説の中で描かれる
「シャングリ・ラ」は、 わが村のことだとして
中国政府に申請し、正式に認可された。
漢字で「香格里拉」と当て字までして・・・・・
アジアの名勝地を中心にホテル展開をしている
ホテル・チェーン会社
バンヤン・ツリー・ホールディング・リミティッド
(本社:シンガポール)は、 この地区一帯を整備し、
その中に少数民族の民家風なホテルを建て、
この貴重な文化遺産を守ってくれている。
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8. 朱家角
朱家角は、上海市街から、西に車で
40分ほどの位置にある。
中国の水郷古鎮として
最も有名な観光都市のひとつだ。
明代には、紡績業、織物業そして
米業などで相当繁栄したそうだ。
筆者が思い浮かぶ一番よく似た街は、
ベルギーのブルージュで両者とも、
街中に水路が縦横に入り組み、
昔風なつくりの商家が、水路沿いに軒を並べている。
もちろん舟で水路を巡り観光できるのも似ている。
違う点は、ブルージュの街に外から入るのに
お金はかからないが、 朱家角古鎮に入るには、
入り口で入場料10元を払わねばならない点である。
でも近郊の上海市街はグローバル化して、
ニューヨークや東京と同じような景観をしている中、
水辺の憩いの場として、
いわば世界の文化遺産を残すために、
これくらいの投資をするのは、なんでもないことである。
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9. 湖面のきらめき(近江・海津)
海津は、江戸時代、若狭からの物産を琵琶湖経由で
大阪に運ぶため、大いに栄えた港町だ。
今なおその波止場の杭がところどころに残っている。
りっぱなお寺も町中に数々ある。
当時は料理屋や宿屋が 軒を並べて、
芸者衆の粋な姿も見られた。
現在、美容院が小さい町のわりには
不相応なほど 沢山見られるが、
それも当時賑わった町の名残りだという。
湖面は日差しを浴びてきらきらと光を反射している。
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10. 金沢 路地のコップ酒
それは冬の寒い日だった。
紛れ込んだ路地にも屋根にも雪が積もっていた。
入社してまだまもない頃、
自分の将来に自信を持てなかった。
人生に迷っていたのだ。
ふと思い立って大阪からこの金沢にひとりやってきた。
何故か油絵の道具を抱えて。
石坂とよばれるこの一帯は、
昔賑わった「にしの茶屋街」の端っこだった。
近くには犀川が暗く流れている。
夕暮れ迫る路地の奥で手を凍えさせながら
雪の路地の絵を描いた。
そして稚拙ながらひと通り仕上げると、
路地の軒先の赤ちょうちんに導かれ、
熱燗のコップ酒を呷った。
七輪の上の網で焼いた焼肉とともに・・・・・
誰にも知られずこの北の国の路地で
ひとり酒を呑むほろ苦さ!
三十年以上経った今も
その密やかな歓びの感覚を覚えているのだ。
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dengakudan at 11:18│Comments(0)