3. 「旅日記 小話集」By Mrs.Inomata1. 「路次の愉悦」By Mr. Akiyama

February 22, 2014

2. 「2013年」By Mr.Arakawa



Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Arakawa.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






    2013年






はじめに


妻の啓子が4年前の3月11日に還暦を迎えて、

「店じまい!店仕舞い!?」

と云い出した。

何でも彼女の健康寿命はあと10年プラスマイナス5年と決めて、身の回りの整理を始めるのだそうだ。

2階の寝室兼自分の部屋と、1坪半ほどのウォークインクロゼットの中でナニやらゴソゴソし始めて・・・見たらアカン!アッチ行っといて!と言いながら、時おりゴソゴソごそごそしている。

しかしながら今に至っていっこうにモノが減っている様子は無い。もっとも、最近は一般的に日本人女性の健康寿命が74歳に伸びたのだそうで、あまり慌てることでもなさそうな雰囲気である。


3月11日は東日本大震災の起こった日である。2011年のこの日は啓子の誕生日を祝うつもりで、京都で食事をしようと出かけた。


御池通り地下の「ゼスト御池」の蕎麦屋で昼食をとり、暇つぶしに映画を見ることになって、

新京極三条下ルのシネコンで洋画をみていると午後2時47分頃揺れ始めた。結構長く且つ大きく揺れたと思う。


慌てて席から立ち上がろうとする啓子の手をつかまえて落ち着くように促した。




彼女は大体が慌て者で、1995年の阪神淡路大震災の時も大津の我が家も未明に相当揺れ、ベッドから転がり落ちるように飛び出して意味もなく飛び跳ねていた。

「かえって危ないゾ!ベッドに入って布団にもぐりこめ!」

と叱った覚えがある。


当時尼崎市の武庫之荘に居た啓子の母が、倒れてきた箪笥の下敷きになって足の甲を骨折するなどの身内の被害もあった。


で、そのまま終わるまで映画を観て映写室から出ると

「東北らしいです!」

と案内嬢が教えてくれた。


河原町三条下ルの甘味処「梅園」で啓子は大好物のアンミツとみたらし団子のセットを、ボクはあべかわ餅をおやつにした。

餡蜜好きの彼女は「ここのアンミツが一番おいしい」らしい。

四条河原町の高島屋京都店、四条寺町の藤井大丸などの売り場を巡り、四条高倉の大丸京都店に向かい各階の売り場を眺めながら家電コーナーに人だかりがしていたので後ろから覗くと、

テレビの画面にかなり上からの空撮で津波が街並みの道路を伝って逆流している映像であった。


その時はあれ程の大参事とも思わず、8階の広東料理店「黄老」に入り、フカヒレの姿煮、あわびと青梗菜の炊合わせそのほかを注文し啓子の62歳を祝った。

帰宅してからテレビの様々な映像であの凄まじい光景を観て、改めてビックリしたものである。


それ以来、去年も今年も啓子の
誕生日祝いには気仙沼の復興を願って「黄老」のフカヒレの姿煮を食することにした。


そんな彼女も来年は65歳、「高齢者」と呼ばれる年齢である。





古 希



「高齢者」と呼ばれるようになって5年、介護保険の被保険者証を貰って5年、ことしの7月20日がボクの70歳誕生日である。

古希を迎えた。ボク本人はそれほど老けたとも呆けたとも思わないが、ともかく周りから制度や慣習も含めて老人という型に嵌め込もうとしているかのようである。別に腹も立たないが・・・



まず、今年が自動車運転免許の更新年ということもあって2月末に「運転免許更新前の高齢者講習」と云う案内があった。

その代り免許更新手続きの際は講習を免除されるということで、30年ほど前に免許取得に通った近所の教習所へ5月末に久しぶりに行って受講した。



ビデオを見せられたり、交通事故件数全般は運転者も被害者も減少傾向にある中で、高齢者の事故がいかに増加しているかいといった内容の講義を聞かされたり、シミュレーターに乗せられたりしてから、受講生の年寄り3人
1組に教官ひとりという組み合わせで実技講習となった。


へー!と思ったのは、ボクはオートマチック車を希望したのに他の2人がマニュアル車での受講であったことである。

ボクの場合は、免許取得後は啓子に与えてあったオートマチック車の日産・マーチに一緒に乗ったので、もうマニュアル車の運転なんか出来ないくらいであるし、

オートマチック車の方が断然楽だと思うけれど、マニュアルを扱うお年寄り(ひとりはご婦人)も結構多いのかもしれない。

もっとも2人とも教習所の車には馴れないのか、しばしばエンストしていたけれど・・・



6月末には退職した会社のOB会(積寿会という)から古希の祝いと称して金一封を送ってきた。

退社時に会費を1万円納めただけではあったが、その後は3年毎に会員名簿と会誌を送ってくれる(会誌の方はすこし前からホームページに代わったけれど・・・)。

定年まで2年弱を残した早期退職ではあったけれど、結構フォローのいい会社だったンだな〜!と、単純に喜んだ。



また、8月には国民健康保険に高齢受給者証も交付され法改正による「自己負担割合が来年4月から2割ですヨ!」(それまでは1割)という通知を受けた。こちらのほうは全然嬉しくない。


昨年初めのいつだったか、どうも足元がふらつくので医者に診てもらったところ脳梗塞とやらではなく血圧が異常に高いということになって、血圧降下剤の処方を受けるようになった。

それ以来ずっと常用して安定はしているが、これから様々生活習慣病やら高齢化に伴う疾患があるかも知れず、年金の減額傾向も含めて実に不都合である。



続いて、
9月には学区の自治会連合会から「敬老の日の集い」の案内と近所のスーパーマーケットの商品券が送られてきた。

9月15日敬老の日の「集い」の方は台風
18号で隣家との仕切りにしていたトレリスが壊れていたので後片付けに追われて欠席したが・・・
 

さて、ボクのほうは後期高齢者と呼ばれるまであと5年となった。





サ高住



この3月10日に、母ヨネ(93歳)にはサービス付き高齢者向け住宅、略して「サ高住」に移ってもらった。


3年ほど前から足腰が弱り始め、用足しと食事以外は寝床に入ったきり入浴も億劫らしいので、

介護保険を使ってデイサービスから始まって担当のケアマネジャーにショートステイと組み合わせてもらったりしていたが、

どうやら家での介助や身の回りの世話、特に排泄時の汚物のついた下着の洗濯などが日常化してきた。

衣類の洗濯から給食も含めて、すべてはボクが担当し啓子を煩わすことはなかったが、この先老・老介護というコースも厄介である。


近くに特別養護老人ホームやグループホームもあるが相当な人数待ちである。

2月末のある日、啓子がタウン誌の広告で見つけてくれた「アンジェス
おごと 温泉」というサービス付き高齢者住宅が、3月オープンと出ていたので下見に出かけた。

ざっと計算して近所のグループホームよりも総費用も安そうで、部屋も2階のエレベーターに近い便利そうな処を押えて、その場で仮契約して帰った。本人にはろくな説明もせず、

「来月からここで住んで!」

と言い置いて引っ越してもらうことにした。

冗談だろうけれど、

「姥捨て山か〜」

と言いながらも駄々をこねるでもなく引っ越してくれた。



民間経営の新築木造
2階建て、エレベーター付き、28室・全室シングルでトイレ・洗面付き個室、2階に談話室と共用キッチン、浴室2つと洗濯室(洗濯機2台)など、1階に食堂、介助用浴室と同じく洗濯室、共用トイレに喫煙室などが設備され、

事務所にはケアマネジャーと介護サービスのスタッフもパートではあるが常駐して、各部屋に訪問介護というカタチで一通りの掃除・洗濯や必要な施薬などをしてくれる。

設備、スタッフともすべて新しく、親切に接してくれているようである。

今のところ、マスコミに報道されているような介護士による虐待などは無さそうで一安心。



わが家から車で10分くらいのところで、週一見舞いがてら日用品の補充や求めに応じて間食の菓子やジュースなどを差し入れている。

本人も住み心地良さそうで、隔週に火曜日午後に契約した医者の訪問診療や、月1回の理髪も有料ながら理容師が来てくれているし、

週2回見張り付きの入浴も自分で出来ているようで、歩行器頼りではあるが自力で館内を歩き回っている。



ところが8月初め頃、

「目がゴロゴロする」

とか痛いとか言い出したので訪問診療に来てくれている医者の紹介で、その婦人が副院長兼眼科を担当しているクリニックに連れて行くよう勧められた。

どうやら角膜が何かの拍子に傷ついたらしく、コンタクトの保護膜を被せて毎週1回交換することになって、車に母と歩行器を積んで送り迎えしなければならないハメになった。

解決策は角膜移植手術ということで、紹介状をもらってタクシーで比叡山の山中越えをして京都府立医大付属病院の眼科につれて行ったが、

医者は本人が高齢でもあり自分から進んで手術を受けたいというのでなければできないと云う。

また、本人は「いやだ」というのではどうしようもなく、結局今まで通り雄琴から和邇まで週一通うことになってしまった。

車で片道20分、順番待ちで1、2時間が毎週の仕事になってしまっている。これが今一番手数のかかる仕事かな?



これまでずっと一緒に暮らしてきて、こんなカタチで別居するとは思わなかったので、しばらくは何か妙な気持ではあったが、眼医者に連れて行っている内にそれも当りまえに慣れてきた。





賄い料理


12年ほど前に会社を早期退職して、毎日が日曜日と云うほどではないにしても家に居ることのほうが多くなって、毎日3食の食事作りを担当するようになった。

ひとつには今後の老化に備えたボケ防止ではあるが、これまでも土・日休日の賄いは普通にこなしていたし、

ヨット乗りは料理が出来て当りまえ(中にはできないヤツも居たりして)と、和気あいあいと楽しんでいたこともあって、家事の中ではいちばんすんなり担当できる部分である。

もちろん食材の買い出しもする。地元の、スーパーマーケットは平和堂「アルプラザ堅田」と「イズミヤ」の2軒、農協の「グリーンプラザ堅田」と道の駅「米プラザ」が行き付けの店である。

京都に出れば「高島屋」「大丸」「藤井大丸」それに「錦小路」を回ってくる。おかげで、新聞の折り込みチラシは丹念に見るようになったし、それぞれ店の品揃えの傾向も掴めるようになった。


母を「アンジェス
おごと 温泉」に送り出してからは啓子と2人である。

困ったのは購入する食材の量である。大根1本、キャベツ1個を持て余す。

と云って半分とか少量パックとかでは割高でもあり、それも使い切れなければ白菜半切もカット面から変色し始める。

白菜もキャベツも1個買って1枚ずつ外側から使っているが、毎食同じメニューともいかず、手をかえ品を変えしても余ってしまう。

野菜類は適当な大きさにカットして一度火を通してから冷凍するようになった。肉、魚類は再冷凍というのも間尺に合わないので必要最小限にしか買わなくなった。

それでも余る場合はこれも通しして冷凍に回す。


近頃は啓子が

「和食が良い」

というのでメニューのほとんどは和風に、京都の「おばんざい」風になりつつある。

常備菜としては「おから」「煮豆」「ひじき」に「かぼちゃ煮」など、炊込みご飯に混ぜご飯、お粥や雑炊におこわ、などなど・・・

昨年、圧力鍋を購入してからは赤飯や中華おこわ、七宝煮豆などに活用するようになった。大豆、黒大豆、インゲン豆にレンズ豆等々の素材や納豆、豆腐とその加工品など豆類はよく使う。

料理の味も塩分を控えながら、酢やショウガなどで整えるようにしている。


たまにはパンも作る。小麦の強力粉に塩、砂糖、低脂肪乳、ドライイーストを加えて捏ね、水で粘度を調整しながらショートニング練りこんで更に捏ねて丸める。

これでベースは出来上がり。ボールにショートニングを塗って丸めた生地を置き、ラップをして1時間ほど発酵させ、取り出してガス抜きをして適当な大きさとカタチに成型する。

生地を休めたり2次発酵したりという教科書もあるけれど、ボクの場合はすこし時間を置いたらオーブンに入れて火をつけて窯伸びさせることにしている。

これが基本で、レーズンパンにしたり、コーンフラワーと缶詰のスイートコーン加えてコーンロールを作ったり、型に入れて食パンにしたりしている。

最初はガスオーブンで焼いていたが、電気のオーブンレンジを買ってからは発酵も含めてこちらで作るようになった。




店じまい


40年ほど楽しんだヨットも2010年末にグループを解散した。

メンバー全員が60歳を越え、維持費の捻出もママならなくなって来たし、レース中心で活動してきたけれど、

そろそろ体力的にも操船を持て余しつつあって、大きな怪我や事故を起こしていないこの辺が潮時かな?とも思い、
フネとも別れることにした。

お別れ会のつもりで先に辞めていったメンバーにも来てもらい、3月中旬に琵琶湖の北「海津の桜」を観に菅浦で1泊のクルージングを挙行した。



今のフネを世話してくれたディーラーに下取りを頼んだところ、割合早くに引き取ってくれる(それも琵琶湖でよく競い合っていたレース仲間の)人が見つかり、

ボクが思っていた程度の金額で交渉成立、メンバーの出資比率に応じた額を分配してキレイさっぱり別れることになった。


ボクの場合は、それ以前から参加していた
琵琶湖でのヨットレースの任意団体のひとつ「ビスカ」(BSCA=ビワコ・セーリング・クルーザー・アソシエーション)の会長をやれと云われていたので、

フネが無くなっても引き受けざるを得ず、3年の間会長に収まった。

その会長職も本年末で卒業、店仕舞いである。

但し、上記のような次第からフネを買ってくれたオーナーが、時折レースに呼んでくれるので手伝っている。

前のメンバーはそれぞれ違う趣味活動に入っていったようである。


母を「サ高住」に送り出して、一通りの生活用品は揃えて持って行ったが、

部屋に残していった物は殆んど使えないものだし、啓子は

「人の使ったものは使わない主義」

で、大半を廃棄した。まさに「断捨離」である。

母との別居も併せてこれも店仕舞いのひとつか?



最近の、啓子との会話はもっぱら「終活」の話・・・この先老化してゆくふたりにとってどう生活を設計し、実行するのか?・・・である。

先ず住まいもこんな田舎ではクルマに頼るしかないが、いずれは運転免許も返上したほうが良いだろうし、と云っていちいちタクシーを呼ぶのも煩わしい。

公共交通の便が良く年寄向きの施設が近くにあるようなところのアパートでも探して、引っ越そうか・・・などといったことなどである。




そんなこともあってボクも身の回りにあるものを片付け始めてはいる。

例えば、着なくなったスーツをスーパーの衣類割引券と交換したり、使わなくなった製図機を始末したり、

庭の手入れも億劫になってきたので庭木や果樹を間引いたりしている。


以前は片端から読み集めた司馬遼太郎モノを再読しては捨てることにしたりしているが、

ここのところ塩野七生の作にハマってまた本が増えたりで、啓子の「店仕舞い」同様ボクの方もあまり捗々しくはない。

自分のこととなると断捨離も難しいものだな!




おわりに


つまり2013年はわが家の「店仕舞い元年」とした訳だが、そんな寂しい話ばかりでもない。

春には琵琶湖北の海津の桜を観にクルマで湖を半周するし、今年は長浜で1泊し彦根城の桜が満開の時に出かけた。

年末には毎年のようにカニを食いに兵庫県香美町柴山の「甲羅戯」という宿に行く。

JR
山陰本線の柴山駅という小さな駅のすぐ山側にある1軒宿でその最上階の浴室付きの部屋を定宿にしている。

ボクとしてはもっと国内を旅行して歩きたい気もするのだが、啓子は

「もう一度で良いからヨーロッパへ連れて行け!」

という。

ほとんどは旅行会社の組んだパックツアーではあるが、ヨーロッパだけでもかれこれ10回以上は行った勘定で、ボクの方はいささか億劫になりつつあるのだが・・・

第一、今は2人住まいで留守番も居ず10日前後家をあけて空き巣にでも入られたら困る。

「友達とでも行ったら?」

と云っても

「そんな友達もいないし、そんなのイヤや!」

とくる。

彼女の友達で旅行好きは東南アジアが好きな人ばかりで、タイとかベトナムあるいは韓国といった方面で、啓子とは好みがまったく違っている。


そんなこんなの毎日である。

ふたりとも未だそれほど体力の衰えは感じていないが、もう少し運動もして、頭の体操もして、年齢よりは若々しく暮らしたい。





                      了


     


 



                  Written  by Mr.Arakawa. 
                        (2014. 02.09.)


 


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