February 2014

February 22, 2014

Romigo Comemorating Cultures




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Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years OldBy All Classmates.Mr.Akiyama.Mr.Asaoka.Mr.Arakawa.Mrs.Ikemura.Mr.Ichizaki.Mrs.Inomata.Mr.Kawakami.Mrs.Kawakami.Mr.Kawasaki.Mr.Shimahara.Mrs.Takatani.Mr.Takeda.Mr.Tabuchi.Mr.Tsubota.Mr.Nakagawaji.Mrs.Nakagawaji.Mr.Naka.Mr.Nakatsu.Mr.Nishino.Mrs.Habu.Mr.Fujii.Mr.Mizuishi.Mr.Miyashita.Mrs.Yasui.Mr.Yoshizumi.Mr.Yotsumoto.
(Romigo Forest)



As it was designed processing, overlap of the cover letter is not a garbled. It is a thing that in the arrangement of characters, representing the Forest.


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Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi


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Romigoとは、635から始まる我々意匠科の学生番号に由来しています。


2014年3月3日をもって、「ロミーゴ70歳記念文集」の編集を終了しました。ご協力いただきました多くの皆様方に、この場を借りまして心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。

尚、これは印刷ではなくWebですから、変更、修正、追加掲載は、いずれでも可能です。よって、何でも受け付けますので、その旨メールにて申し出て下さい。尚、記載情報は最新に更新されています。

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1. 「路次の愉悦」By Mr. Akiyama




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Akiyama.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi




             はじめに
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      Written & Painted by Akiyama 
          ('13.12.22.)









ビジネス社会を卒業して、今年(2013年)で十年目を迎えま した。

その間、画板を抱えて、欧州・アジア十カ国と日本各地 をスケッチ旅行して過ごしました。そして描きためた絵の数が 1000 枚に達しようとしています。

今夏、その中から「路地」と 「水辺」をテーマとして取り上げ、自主出版を致しました。同時 に大阪・道頓堀「ギャラリー香」で個展も開催させて頂き、多 くの方々にお越しいただきお世話になりました。

ロミーゴ文集 では、本文より一部抜粋して掲載したいと思います。

 

題名「路地の愉悦 水辺の至福」


雅号「路次健」(ろじけん)
出版社「㈱パレード」
定価「2500円+消費税」(アマゾンで販売中)

                0-aki
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*雅号の「路次健」の由来は下記の与謝蕪村の句から採っ たものです

     桃源の
           路次の細さよ
                冬ごもり (蕪村)




 
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1. ブラーノ島の路地(ヴェネチア)


ブラーノ島は、レース手刺繍で有名な島である。

 家の壁々が赤、黄、緑・・とカラフルに

彩られている。

 表通りは、レースのハンカチなどを売るお店が

 軒を並べ、人通りも多い。

 けれども一歩、横道に入ると路地が入り組み、

静かなときを刻んでいる。

どんなに美しく楽しげに飾られた街であっても、

 その裏側に入れば、現実に直面した生活の中で、

 哀しい出来事も 小さい争い事も日常的に

起こっているはずである。

でも人の生活とは、その光と陰の両面があって

はじめて 味わい深い人生といえるのではないか。

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2. フラメンコ・ダンサー(アンダルシア)


フラメンコは、インド辺りからの流浪の民の

ジプシー(ヒターノ)によって始められたという。

それもアンダルシアの下町路地で暮らす中で

独自の踊りとして醸成していったものだ。

黒い髪、浅黒い肌、引き締まった体がフラメンコの

激しい動きにぴったりなのだ。

(この踊りに関しては、白人の豊満な姿態は、

どうしても似合わない。)

カンテ(Cante)と呼ばれる歌と

 トケ(Toque)と呼ばれるギターが

踊りの地方(じかた)として場を盛り上げる。

能や日本舞踊においての地方と同じである。

バイラオーラ(女性の踊り手)が、

眉間にしわを寄せ、

 激しく腰を揺らせる姿には、

女の情念のようなものが

感じられ、こころが揺さぶられる。

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3. マカオ 聖ポール天主堂跡の広場


朝早いこの時間、大勢の人達が、

熱々のお粥を啜っている。

三々五々に分かれたテーブルでは、

出勤前の中年の労働者達や地元の若いカップルが

夢中になって食している。

 聖ポール天主堂(大三巴牌坊)は、

ポルトガルがこの地を

支配していた頃の大建造物だったが、

 主な建物は焼け落ち、現在は背の高い

ファサードだけが残っている。  

大寺院の近辺では、どこの国でも

下町風情の門前街が拡がっているものだ。

この地区も例外でなく、ひび割れた壁に囲まれた

 小さな広場で屋台が軒を並べている。

でもこうした路地に迷い込むと不思議に

居心地がよく

 こころが癒されるのは、どうしてだろう?

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 4. 釜山港の路地(韓国)


釜山港に限らず、港には路地がつきものである。

 そしてどこか猥雑な雰囲気が漂う。

人間の体を見ても、いつも表向きの顔と

秘すべき部分があるのと同じように

人間のこころにも光り輝く部分と猥雑な部分の

両方が必要なのだと思う。

老人のための理想郷として、清潔で光り輝く

街づくりをして 人集めをする例がときたまあるが、

 猥雑な部分のない「ニュータウン」は、息が詰まる。

 人間とは、不思議なものではないか。

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5. 新天地楽園(金沢)


金沢一の繁華街、香林坊の一角に、

 「新天地楽園」 と呼ばれる路地がある。

 そこは戦後、間もない頃によく見かけられた

バラック立てのような飲み屋街がある。

会社時代の後輩が、金沢支店に勤めていて、

いきつけの店があるというので、一緒に訪れた。

 「赤城」という名で、その名前にふさわしく

 男っぽい風情が漂う店だ。

無口で頑固を絵に描いたような親爺が、

 ひとりでこの小料理屋を守っている。

味だけは確かなもので、

うまい肴をあてに男同士で 呑む酒の味は、格別だ。


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6. セーヌ川の中の島(フランス)


 セーヌ川といえば、パリ市内を流れる川

としての 認識が一般的だろう。

 『パリの空の下、セーヌ流れる』の唄のように・・・・

でもセーヌ川はパリから北西の方向に延々と流れ

イギリスとの海峡に注ぎこむ大河である。

 パリ郊外を北に向かい蛇行を繰り返し

 ゆったりと流れてゆく。

途中にいくつもの中の島が点在する。

 こうした中の島のひとつで

古い石作りの家のなかで住む。

独り静かに読書や絵画制作にいそしむ。

ときには食料の買い出しや気晴らしの

一杯呑みに舟で対岸に漕ぎ出だす。

 遊行期の生活としては、ちょっと上等の部類に

 入るのではないか。

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7. 中国・雲南省 香格里拉(シャングリ・ラ)


玉龍雪山や梅里雪山など六千メートル級の山々からの

清流が、 原野をゆっくりと潤している・・・・・

羊や牛に似た”ヤク“が一日中、草を食んでいる・・・・・

 涼しい風が木々の葉を揺らしている・・・・・・

中国・雲南省の北部、香格里拉(シャングリ・ラ)は、

 「理想郷」のシンボルとしての有名な村だ。

 この名前の由来は、ジェイムス・ヒルトン

(米国の小説家1900~1954)が 書いた小説

『失われた地平線』の中に出てくる

理想郷の名前である。

 チベット族の言葉で「こころの中の太陽と月」

という意味だとも言われている。  

ここの村人達が、この小説の中で描かれる

「シャングリ・ラ」は、 わが村のことだとして

中国政府に申請し、正式に認可された。

 漢字で「香格里拉」と当て字までして・・・・・

アジアの名勝地を中心にホテル展開をしている

ホテル・チェーン会社

バンヤン・ツリー・ホールディング・リミティッド

(本社:シンガポール)は、 この地区一帯を整備し、

その中に少数民族の民家風なホテルを建て、

この貴重な文化遺産を守ってくれている。


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 8. 朱家角


朱家角は、上海市街から、西に車で

40分ほどの位置にある。

中国の水郷古鎮として

最も有名な観光都市のひとつだ。

 明代には、紡績業、織物業そして

米業などで相当繁栄したそうだ。

筆者が思い浮かぶ一番よく似た街は、

ベルギーのブルージュで両者とも、

 街中に水路が縦横に入り組み、

昔風なつくりの商家が、水路沿いに軒を並べている。

 もちろん舟で水路を巡り観光できるのも似ている。

 違う点は、ブルージュの街に外から入るのに

お金はかからないが、 朱家角古鎮に入るには、

入り口で入場料10元を払わねばならない点である。

でも近郊の上海市街はグローバル化して、

ニューヨークや東京と同じような景観をしている中、

 水辺の憩いの場として、

いわば世界の文化遺産を残すために、

 これくらいの投資をするのは、なんでもないことである。


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9. 湖面のきらめき(近江・海津)


海津は、江戸時代、若狭からの物産を琵琶湖経由で

 大阪に運ぶため、大いに栄えた港町だ。

今なおその波止場の杭がところどころに残っている。

りっぱなお寺も町中に数々ある。

当時は料理屋や宿屋が 軒を並べて、

芸者衆の粋な姿も見られた。

現在、美容院が小さい町のわりには

不相応なほど 沢山見られるが、

それも当時賑わった町の名残りだという。

湖面は日差しを浴びてきらきらと光を反射している。


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10. 金沢 路地のコップ酒


それは冬の寒い日だった。

紛れ込んだ路地にも屋根にも雪が積もっていた。

入社してまだまもない頃、

自分の将来に自信を持てなかった。

人生に迷っていたのだ。

ふと思い立って大阪からこの金沢にひとりやってきた。

何故か油絵の道具を抱えて。

石坂とよばれるこの一帯は、

昔賑わった「にしの茶屋街」の端っこだった。

 近くには犀川が暗く流れている。

夕暮れ迫る路地の奥で手を凍えさせながら

雪の路地の絵を描いた。

そして稚拙ながらひと通り仕上げると、

路地の軒先の赤ちょうちんに導かれ、

 熱燗のコップ酒を呷った。

七輪の上の網で焼いた焼肉とともに・・・・・

誰にも知られずこの北の国の路地で

ひとり酒を呑むほろ苦さ!

 三十年以上経った今も

その密やかな歓びの感覚を覚えているのだ。


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2. 「2013年」By Mr.Arakawa



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    2013年






はじめに


妻の啓子が4年前の3月11日に還暦を迎えて、

「店じまい!店仕舞い!?」

と云い出した。

何でも彼女の健康寿命はあと10年プラスマイナス5年と決めて、身の回りの整理を始めるのだそうだ。

2階の寝室兼自分の部屋と、1坪半ほどのウォークインクロゼットの中でナニやらゴソゴソし始めて・・・見たらアカン!アッチ行っといて!と言いながら、時おりゴソゴソごそごそしている。

しかしながら今に至っていっこうにモノが減っている様子は無い。もっとも、最近は一般的に日本人女性の健康寿命が74歳に伸びたのだそうで、あまり慌てることでもなさそうな雰囲気である。


3月11日は東日本大震災の起こった日である。2011年のこの日は啓子の誕生日を祝うつもりで、京都で食事をしようと出かけた。


御池通り地下の「ゼスト御池」の蕎麦屋で昼食をとり、暇つぶしに映画を見ることになって、

新京極三条下ルのシネコンで洋画をみていると午後2時47分頃揺れ始めた。結構長く且つ大きく揺れたと思う。


慌てて席から立ち上がろうとする啓子の手をつかまえて落ち着くように促した。




彼女は大体が慌て者で、1995年の阪神淡路大震災の時も大津の我が家も未明に相当揺れ、ベッドから転がり落ちるように飛び出して意味もなく飛び跳ねていた。

「かえって危ないゾ!ベッドに入って布団にもぐりこめ!」

と叱った覚えがある。


当時尼崎市の武庫之荘に居た啓子の母が、倒れてきた箪笥の下敷きになって足の甲を骨折するなどの身内の被害もあった。


で、そのまま終わるまで映画を観て映写室から出ると

「東北らしいです!」

と案内嬢が教えてくれた。


河原町三条下ルの甘味処「梅園」で啓子は大好物のアンミツとみたらし団子のセットを、ボクはあべかわ餅をおやつにした。

餡蜜好きの彼女は「ここのアンミツが一番おいしい」らしい。

四条河原町の高島屋京都店、四条寺町の藤井大丸などの売り場を巡り、四条高倉の大丸京都店に向かい各階の売り場を眺めながら家電コーナーに人だかりがしていたので後ろから覗くと、

テレビの画面にかなり上からの空撮で津波が街並みの道路を伝って逆流している映像であった。


その時はあれ程の大参事とも思わず、8階の広東料理店「黄老」に入り、フカヒレの姿煮、あわびと青梗菜の炊合わせそのほかを注文し啓子の62歳を祝った。

帰宅してからテレビの様々な映像であの凄まじい光景を観て、改めてビックリしたものである。


それ以来、去年も今年も啓子の
誕生日祝いには気仙沼の復興を願って「黄老」のフカヒレの姿煮を食することにした。


そんな彼女も来年は65歳、「高齢者」と呼ばれる年齢である。





古 希



「高齢者」と呼ばれるようになって5年、介護保険の被保険者証を貰って5年、ことしの7月20日がボクの70歳誕生日である。

古希を迎えた。ボク本人はそれほど老けたとも呆けたとも思わないが、ともかく周りから制度や慣習も含めて老人という型に嵌め込もうとしているかのようである。別に腹も立たないが・・・



まず、今年が自動車運転免許の更新年ということもあって2月末に「運転免許更新前の高齢者講習」と云う案内があった。

その代り免許更新手続きの際は講習を免除されるということで、30年ほど前に免許取得に通った近所の教習所へ5月末に久しぶりに行って受講した。



ビデオを見せられたり、交通事故件数全般は運転者も被害者も減少傾向にある中で、高齢者の事故がいかに増加しているかいといった内容の講義を聞かされたり、シミュレーターに乗せられたりしてから、受講生の年寄り3人
1組に教官ひとりという組み合わせで実技講習となった。


へー!と思ったのは、ボクはオートマチック車を希望したのに他の2人がマニュアル車での受講であったことである。

ボクの場合は、免許取得後は啓子に与えてあったオートマチック車の日産・マーチに一緒に乗ったので、もうマニュアル車の運転なんか出来ないくらいであるし、

オートマチック車の方が断然楽だと思うけれど、マニュアルを扱うお年寄り(ひとりはご婦人)も結構多いのかもしれない。

もっとも2人とも教習所の車には馴れないのか、しばしばエンストしていたけれど・・・



6月末には退職した会社のOB会(積寿会という)から古希の祝いと称して金一封を送ってきた。

退社時に会費を1万円納めただけではあったが、その後は3年毎に会員名簿と会誌を送ってくれる(会誌の方はすこし前からホームページに代わったけれど・・・)。

定年まで2年弱を残した早期退職ではあったけれど、結構フォローのいい会社だったンだな〜!と、単純に喜んだ。



また、8月には国民健康保険に高齢受給者証も交付され法改正による「自己負担割合が来年4月から2割ですヨ!」(それまでは1割)という通知を受けた。こちらのほうは全然嬉しくない。


昨年初めのいつだったか、どうも足元がふらつくので医者に診てもらったところ脳梗塞とやらではなく血圧が異常に高いということになって、血圧降下剤の処方を受けるようになった。

それ以来ずっと常用して安定はしているが、これから様々生活習慣病やら高齢化に伴う疾患があるかも知れず、年金の減額傾向も含めて実に不都合である。



続いて、
9月には学区の自治会連合会から「敬老の日の集い」の案内と近所のスーパーマーケットの商品券が送られてきた。

9月15日敬老の日の「集い」の方は台風
18号で隣家との仕切りにしていたトレリスが壊れていたので後片付けに追われて欠席したが・・・
 

さて、ボクのほうは後期高齢者と呼ばれるまであと5年となった。





サ高住



この3月10日に、母ヨネ(93歳)にはサービス付き高齢者向け住宅、略して「サ高住」に移ってもらった。


3年ほど前から足腰が弱り始め、用足しと食事以外は寝床に入ったきり入浴も億劫らしいので、

介護保険を使ってデイサービスから始まって担当のケアマネジャーにショートステイと組み合わせてもらったりしていたが、

どうやら家での介助や身の回りの世話、特に排泄時の汚物のついた下着の洗濯などが日常化してきた。

衣類の洗濯から給食も含めて、すべてはボクが担当し啓子を煩わすことはなかったが、この先老・老介護というコースも厄介である。


近くに特別養護老人ホームやグループホームもあるが相当な人数待ちである。

2月末のある日、啓子がタウン誌の広告で見つけてくれた「アンジェス
おごと 温泉」というサービス付き高齢者住宅が、3月オープンと出ていたので下見に出かけた。

ざっと計算して近所のグループホームよりも総費用も安そうで、部屋も2階のエレベーターに近い便利そうな処を押えて、その場で仮契約して帰った。本人にはろくな説明もせず、

「来月からここで住んで!」

と言い置いて引っ越してもらうことにした。

冗談だろうけれど、

「姥捨て山か〜」

と言いながらも駄々をこねるでもなく引っ越してくれた。



民間経営の新築木造
2階建て、エレベーター付き、28室・全室シングルでトイレ・洗面付き個室、2階に談話室と共用キッチン、浴室2つと洗濯室(洗濯機2台)など、1階に食堂、介助用浴室と同じく洗濯室、共用トイレに喫煙室などが設備され、

事務所にはケアマネジャーと介護サービスのスタッフもパートではあるが常駐して、各部屋に訪問介護というカタチで一通りの掃除・洗濯や必要な施薬などをしてくれる。

設備、スタッフともすべて新しく、親切に接してくれているようである。

今のところ、マスコミに報道されているような介護士による虐待などは無さそうで一安心。



わが家から車で10分くらいのところで、週一見舞いがてら日用品の補充や求めに応じて間食の菓子やジュースなどを差し入れている。

本人も住み心地良さそうで、隔週に火曜日午後に契約した医者の訪問診療や、月1回の理髪も有料ながら理容師が来てくれているし、

週2回見張り付きの入浴も自分で出来ているようで、歩行器頼りではあるが自力で館内を歩き回っている。



ところが8月初め頃、

「目がゴロゴロする」

とか痛いとか言い出したので訪問診療に来てくれている医者の紹介で、その婦人が副院長兼眼科を担当しているクリニックに連れて行くよう勧められた。

どうやら角膜が何かの拍子に傷ついたらしく、コンタクトの保護膜を被せて毎週1回交換することになって、車に母と歩行器を積んで送り迎えしなければならないハメになった。

解決策は角膜移植手術ということで、紹介状をもらってタクシーで比叡山の山中越えをして京都府立医大付属病院の眼科につれて行ったが、

医者は本人が高齢でもあり自分から進んで手術を受けたいというのでなければできないと云う。

また、本人は「いやだ」というのではどうしようもなく、結局今まで通り雄琴から和邇まで週一通うことになってしまった。

車で片道20分、順番待ちで1、2時間が毎週の仕事になってしまっている。これが今一番手数のかかる仕事かな?



これまでずっと一緒に暮らしてきて、こんなカタチで別居するとは思わなかったので、しばらくは何か妙な気持ではあったが、眼医者に連れて行っている内にそれも当りまえに慣れてきた。





賄い料理


12年ほど前に会社を早期退職して、毎日が日曜日と云うほどではないにしても家に居ることのほうが多くなって、毎日3食の食事作りを担当するようになった。

ひとつには今後の老化に備えたボケ防止ではあるが、これまでも土・日休日の賄いは普通にこなしていたし、

ヨット乗りは料理が出来て当りまえ(中にはできないヤツも居たりして)と、和気あいあいと楽しんでいたこともあって、家事の中ではいちばんすんなり担当できる部分である。

もちろん食材の買い出しもする。地元の、スーパーマーケットは平和堂「アルプラザ堅田」と「イズミヤ」の2軒、農協の「グリーンプラザ堅田」と道の駅「米プラザ」が行き付けの店である。

京都に出れば「高島屋」「大丸」「藤井大丸」それに「錦小路」を回ってくる。おかげで、新聞の折り込みチラシは丹念に見るようになったし、それぞれ店の品揃えの傾向も掴めるようになった。


母を「アンジェス
おごと 温泉」に送り出してからは啓子と2人である。

困ったのは購入する食材の量である。大根1本、キャベツ1個を持て余す。

と云って半分とか少量パックとかでは割高でもあり、それも使い切れなければ白菜半切もカット面から変色し始める。

白菜もキャベツも1個買って1枚ずつ外側から使っているが、毎食同じメニューともいかず、手をかえ品を変えしても余ってしまう。

野菜類は適当な大きさにカットして一度火を通してから冷凍するようになった。肉、魚類は再冷凍というのも間尺に合わないので必要最小限にしか買わなくなった。

それでも余る場合はこれも通しして冷凍に回す。


近頃は啓子が

「和食が良い」

というのでメニューのほとんどは和風に、京都の「おばんざい」風になりつつある。

常備菜としては「おから」「煮豆」「ひじき」に「かぼちゃ煮」など、炊込みご飯に混ぜご飯、お粥や雑炊におこわ、などなど・・・

昨年、圧力鍋を購入してからは赤飯や中華おこわ、七宝煮豆などに活用するようになった。大豆、黒大豆、インゲン豆にレンズ豆等々の素材や納豆、豆腐とその加工品など豆類はよく使う。

料理の味も塩分を控えながら、酢やショウガなどで整えるようにしている。


たまにはパンも作る。小麦の強力粉に塩、砂糖、低脂肪乳、ドライイーストを加えて捏ね、水で粘度を調整しながらショートニング練りこんで更に捏ねて丸める。

これでベースは出来上がり。ボールにショートニングを塗って丸めた生地を置き、ラップをして1時間ほど発酵させ、取り出してガス抜きをして適当な大きさとカタチに成型する。

生地を休めたり2次発酵したりという教科書もあるけれど、ボクの場合はすこし時間を置いたらオーブンに入れて火をつけて窯伸びさせることにしている。

これが基本で、レーズンパンにしたり、コーンフラワーと缶詰のスイートコーン加えてコーンロールを作ったり、型に入れて食パンにしたりしている。

最初はガスオーブンで焼いていたが、電気のオーブンレンジを買ってからは発酵も含めてこちらで作るようになった。




店じまい


40年ほど楽しんだヨットも2010年末にグループを解散した。

メンバー全員が60歳を越え、維持費の捻出もママならなくなって来たし、レース中心で活動してきたけれど、

そろそろ体力的にも操船を持て余しつつあって、大きな怪我や事故を起こしていないこの辺が潮時かな?とも思い、
フネとも別れることにした。

お別れ会のつもりで先に辞めていったメンバーにも来てもらい、3月中旬に琵琶湖の北「海津の桜」を観に菅浦で1泊のクルージングを挙行した。



今のフネを世話してくれたディーラーに下取りを頼んだところ、割合早くに引き取ってくれる(それも琵琶湖でよく競い合っていたレース仲間の)人が見つかり、

ボクが思っていた程度の金額で交渉成立、メンバーの出資比率に応じた額を分配してキレイさっぱり別れることになった。


ボクの場合は、それ以前から参加していた
琵琶湖でのヨットレースの任意団体のひとつ「ビスカ」(BSCA=ビワコ・セーリング・クルーザー・アソシエーション)の会長をやれと云われていたので、

フネが無くなっても引き受けざるを得ず、3年の間会長に収まった。

その会長職も本年末で卒業、店仕舞いである。

但し、上記のような次第からフネを買ってくれたオーナーが、時折レースに呼んでくれるので手伝っている。

前のメンバーはそれぞれ違う趣味活動に入っていったようである。


母を「サ高住」に送り出して、一通りの生活用品は揃えて持って行ったが、

部屋に残していった物は殆んど使えないものだし、啓子は

「人の使ったものは使わない主義」

で、大半を廃棄した。まさに「断捨離」である。

母との別居も併せてこれも店仕舞いのひとつか?



最近の、啓子との会話はもっぱら「終活」の話・・・この先老化してゆくふたりにとってどう生活を設計し、実行するのか?・・・である。

先ず住まいもこんな田舎ではクルマに頼るしかないが、いずれは運転免許も返上したほうが良いだろうし、と云っていちいちタクシーを呼ぶのも煩わしい。

公共交通の便が良く年寄向きの施設が近くにあるようなところのアパートでも探して、引っ越そうか・・・などといったことなどである。




そんなこともあってボクも身の回りにあるものを片付け始めてはいる。

例えば、着なくなったスーツをスーパーの衣類割引券と交換したり、使わなくなった製図機を始末したり、

庭の手入れも億劫になってきたので庭木や果樹を間引いたりしている。


以前は片端から読み集めた司馬遼太郎モノを再読しては捨てることにしたりしているが、

ここのところ塩野七生の作にハマってまた本が増えたりで、啓子の「店仕舞い」同様ボクの方もあまり捗々しくはない。

自分のこととなると断捨離も難しいものだな!




おわりに


つまり2013年はわが家の「店仕舞い元年」とした訳だが、そんな寂しい話ばかりでもない。

春には琵琶湖北の海津の桜を観にクルマで湖を半周するし、今年は長浜で1泊し彦根城の桜が満開の時に出かけた。

年末には毎年のようにカニを食いに兵庫県香美町柴山の「甲羅戯」という宿に行く。

JR
山陰本線の柴山駅という小さな駅のすぐ山側にある1軒宿でその最上階の浴室付きの部屋を定宿にしている。

ボクとしてはもっと国内を旅行して歩きたい気もするのだが、啓子は

「もう一度で良いからヨーロッパへ連れて行け!」

という。

ほとんどは旅行会社の組んだパックツアーではあるが、ヨーロッパだけでもかれこれ10回以上は行った勘定で、ボクの方はいささか億劫になりつつあるのだが・・・

第一、今は2人住まいで留守番も居ず10日前後家をあけて空き巣にでも入られたら困る。

「友達とでも行ったら?」

と云っても

「そんな友達もいないし、そんなのイヤや!」

とくる。

彼女の友達で旅行好きは東南アジアが好きな人ばかりで、タイとかベトナムあるいは韓国といった方面で、啓子とは好みがまったく違っている。


そんなこんなの毎日である。

ふたりとも未だそれほど体力の衰えは感じていないが、もう少し運動もして、頭の体操もして、年齢よりは若々しく暮らしたい。





                      了


     


 



                  Written  by Mr.Arakawa. 
                        (2014. 02.09.)


 


                                          UP


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3. 「旅日記 小話集」By Mrs.Inomata




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旅日記 小話集
 




昔流に言えば、「古希」。「ろみーご」ご一同と出会ってからでも半世紀経つ。

「このままじゃ一生は一炊の夢、気がついたら棺桶の中、なんてことになりかねない。 仕事なんぞしている場合ではないよ、残る時間はわずか! したいことしたかったこと、今でしょ、するのは、出来るのは!」 

こう自らに言い聞かせて2年が過ぎた。2年間熱中したのが、桜の古木と世界自然遺産を観て歩くことである。 今回の文集は、その旅の始め、福島・山形の桜探訪の旅日記からちょっとお話を。




 1.東日本大震災と桜紀行


東日本大震災が起こった2011年3月、私の世界も変わった。8年間年360日以上を捧げた仕事をきっぱり辞めたのである。

自由になればすぐにも、かねての夢「桜紀行」に出る予定であった。 だが、桜の名木の多くが東北にある。未曾有の災害に苦しむ地に出かけて、ボランティアなら知らず、花見でもあるまい、どうしたものか、と迷っていた。

鹿児島に住む友人に 「私がこちらにいるうちに、南の国の桜を観においでよ」 と急かされて、ひとまず九州を一巡りすることにしたのだが、行楽シーズンだというのに、何処へ行っても観光客が見当たらない。

乗ったタクシーの運転手が嘆く。 「東北に寄付したいとは思うけど、それどころやない。実は観光客が激減して、このわたしが食べていけんのですよ」。

日本人はむろん、近年は九州観光の中心になった中国・韓国人観光客のほとんどが、予定をキャンセルしたという。原発事故の影響である。そういえば開通したばかりの九州新幹線もガラガラだった。

桜祭りの最中のはずが行く先々、行事はみな中止。準備万端整っていた新幹線の開通祝賀会(3月12日)だけでなく、観光客がどっと来ると期待しての設備投資も何もかもが、水泡に帰したと肩を落とす。

私は決意した。予定通り東北に桜を観に行こう。ボランティアでお役に立てる技能も体力もないが、お金を使うことが地元の助けにならぬことはない。日本中がしょぼんとしていたのでは、東北の復興はあり得ない。頑張ろう日本。



 2.桜紀行・東北編-1 ('13.4.19.)


昼前、大きなリュックを背負い三春滝桜(福島県)と置賜の桜回廊(山形県)を目当てに旅立つ。 暖冬続きだったのにこの年は春が寒く、花冷えの19日は関東以北の山々に雪が降った。

東北新幹線の車窓からどんよりした景色を眺めながら、未曽有という大震災から1ヶ月しか経っていない地に足を踏み入れることに、正直、不安が一杯だった。 なぜ「桜」なのかしら? 

富士山、桜、初日の出。なんとまぁ陳腐だわねぇ。車内のざわめきをぼんやり聞きながら自分に問ってみる。 若いころから、動物ではなく静かなる植物のほうに興味があった。

植物でも巨樹・長寿木に、花が美しいのはなおさらに。とりわけ桜は、紅葉の季節でさえ他に混ざって存在が分からないのに、春の初めのほんの短い期間だけ、絢爛の衣装を纏って自己を主張する。

千年、2千年生きてなお、極寒に耐え、時違えることなく春に、生きている証を示し、その喜びを謳いあげる。 その不思議、その生命力のすごさよ。私は桜の花を観て自分自身の生きている証を見出し、「生きていく」原動力をもらう。

年老いてもなお初々しい生命の花を咲かせよ、とカツを入れてもらうのである。 桜には、けれど、辛い思い出がある。桜をみる度に必ず目に浮かぶ光景がある。しかし、だからこそ、桜花の季節を忘れ得ない、それは40年前の春4月。

私は爛漫の陽光の中、療養所に向かう山道をたどっていた。 その両側のソメイヨシノは今盛り、花びらが光と交錯しながらハラハラと舞い、道は果てもない登りであった。肺結核を患って入院する日の朝のことである。

この入院は1年半に及び、結婚5年目にようやく授かった胎児を私の命と引き換えにしなければならなかった。私はこの子を女の子と信じて、密かに「桜子<サクラコ>」と名付けた。 夫にさえこの名は明かしていない。

いまだ癒えない心の傷も。春が来ると、この世でまみえること叶わなかった「桜子」に会いたくなって、ひとり花の桜を訪ねるのかもしれない。



 
3.滝桜  ('13.4.20.)


震災後開通したばかりで満員の東北新幹線を、さまざまの不安を抱きながら降り立った昨夜の郡山駅は、昇降客が溢れ、予想に反してずいぶんと明るかった。

 どの店も開いており、エスカレーターも動いているではないか。節電、節電とかまびすしい大阪と大違い。水のペットボトルで一杯のリュックが、急に重くなったのだった。 朝一番、待望の三春に入った。

昨日のネット情報では桜は五、六分咲き。そのせいか駅前の観光客の姿は数えるほどだ。町はずれまで約6キロを臨時の滝桜行バスに乗る。

胸轟かせて降り立ち目を上げると、神社やお墓のある丘の南斜面にゆったりと枝を広げ、ひとり朝日を浴びて立つ滝桜が、視野一杯にあった。

 株元には真紅の椿が咲き小さな祠がある。昨夜来の冷気の中、ここだけほっこり暖かい空気に包まれている。地元の方々に長く大切にされてきたことが伝わってくる。

千年もの間じっとここに立ち、度重なる自然災害を耐え、人間の営みを見守り続けてきた滝桜。きっとたくさんの物語を秘めているであろう。

その声を聴いてみたい、保護のフェンスがなければどっしりした幹に耳を寄せてみるのだけれど。その幹は千歳にふさわしくごつごつと深いしわを刻み、いかにもの大迫力なのに、花の何と初々しいことか。

滝桜の品種はベニシダレである。 薄紅色の花一つ一つはとても小さくかわいい。それが数知れず咲いて、抜けるような青い空から裾を広げて降ってくる。

冬が厳しい北の国ほど桜の花が美しく迫力があるというのは、まさに本当だと思った。  

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            三春滝桜 ( click and large size )

例年なら人、人、人で立ち止まっては観られないというのが信じられないほど、人影はまばらだった。間近に、また丘の上から、真横から、飽くことなく眺め続けた。

 この度の地震や原発事故騒ぎもなんにも無かったかのように、滝桜は静かに、でもしっかりと、春到来を告げていた。


 
4.三春点描 
 


 滝桜を守り育てた三春という町を肌で感じたくて、その日は日の暮れるまで周辺を歩き回った。

郊外にある滝桜からさらに足を延ばすと、丘や山が幾重にも重った、その西の向こうに福島第一原発がある。そのせいか車もめったに通らなかった。

道端に腰かけて眺めやると、昨日降った雪の残る山がなだらかに続いてぼんやりと蒼い。近くにはわずかに色めいた山肌のあちこちに、桜が綿雲のように浮かんで見えた。かすかに水の流れる音がする。ときおり鶯が鳴く。

山陰に古い家が数軒見えるも、人影はない。 どこからか痩せた犬が寄ってきて、やがて、とぼとぼと去って行った。

その後ろ姿に、住み慣れた故郷を捨てなければならなくなった福島の方々の無念が重なって見えた。

足元から冷えが登って来て、私もやがてもと来た道を歩き始めた。 三春周辺には日本三大桜の滝桜以外にも見事な桜の古木がいたる所にあり、何でもない家の庭や藪の外れに見事な花傘を広げていたりする。

畑の向こうにひときわ美しい桜を見つけてそばに行き、ぼんやり眺めたり、カメラに収めたりしていたら、大ぶりなカメラを提げた同年輩とおぼしき男性が近寄ってきた。

 「どこから来たの?」
「大阪です」
 「一人で?」
 「ハイ」
「ふーん」
 「・・・」
 しばし無言で私を眺めてから、ぼそりと 「僕だったら、ひとりでなんか、よう出さんなぁ」
 「・・・」
 「遠くから来たんだ、たくさん写真撮って行くといいよ。気を付けて」
「ありがとうございます。(変なおじさん)」

立ち去る男性を、私は少々ブスっとして見送った。 

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         変なおじさんの桜 ( click and large size )



5.安達太良山のふもとの町で ('13.4.21.)


3日目は本宮、二本松、安達と、福島中通の陽春輝くなかを歩いた。二本松はお城を中心に町中桜で埋まっていた。 安達は、緩やかに裾を引く安達太良山の南麓にある。

このあたりはどこにいても安達太良山が臨め、母に抱かれているような安らぎを覚えた。

夕陽に染まりゆくあたりの風景に見惚れて時を忘れていたら、
「こんにちは!」
 「こんにちは」
「こんにちは」
 口々に元気なかわいい声。

下校途中の小学生たちであった。 この子たちの学校も満開のみごとな大木のシダレザクラに埋まっていた。あの声が、今も聞こえてくる。春風の心地よい夕べだった。

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           安達太良山 ( click and large size )                                    


6.花見山の物思い  ('13.4.22.)


船岡、福島は冷たい雨の一日となった。福島では、行きの新幹線で隣りあった女性が、是非に、と薦めてくれた「花見山」を観た。

ここは様々の花木を植えてあり、それがあまりに美しいので持ち主の植木屋さんが春の期間だけ一般に公開しているのだという。

長寿桜・一本桜が目的の旅、クローンのソメイヨシノはあくまで「ついで」が主義の私としては、他に譲るべき単なる観光名所のはずが、電車を降りたらすぐバスが来て、つい誘われるように乗ってしまった。

降り立つと、そこには夢かとまがう世界が現れた。 レンギョウ、山茱萸、雪柳、桃に桜に紫モクレン、エトセトラエトセトラ、まさに百花繚乱。

晴れていれば色の競演はさぞかし騒々しかったろうが、煙雨に霞む佇まいは得も言われない美しさ。桃源郷とはこういうのを言うのだろうか。

頂上近くの誰も来ない静かな東屋で、ひとり長い物思いの時間を過ごした。晩年を福島で過ごした満理子さんも、この風景を愛でたことであろう。

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         花見山の春 ( click and large size )





7.兼続の墓 ('13.4.23.)  


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       置賜の福寿草群落 ( click and large size )

いよいよ山形の置賜へ。古木銘木メジロ押しで期待の置賜だったが、数日前にやっと里の根雪が融け出したばかりとか。花は例年に比べ2週間以上遅れていてつぼみ固し。

桃も桜も満開の福島から峠ひとつでこんなにも違うのだ。周りを取り巻くさほど高くない山々も、雪でまだ白い。 でも、春はもうそこ。

鄙びた家々の庭に水仙の黄色が輝き、所々に残る雪の縁からたくさんのふきのとうや福寿草が顔を出して太陽を浴びていた。 次回の下見に自転車で一巡りして、日程を繰り上げ会津若松へ回ることにした。

 しかし、山形県を去る前にぜひ観たいところがある。それは米沢の「直江兼続の墓」。私は歴史小説大好きオバサン、いわゆる「歴女」。

 米沢30万石はその昔、太閤秀吉により陪臣にもかかわらず直江兼続に与えられた。後、豊臣政権にとってかわった家康により大減封の憂き目にあった兼続の主君・上杉景勝が移されて城主となり、上杉藩15万石として幕末に至る。 墓は米沢市内林泉寺境内にある。

拝観時間は過ぎ、柵がしてあったが、こっそり入り込む。あたりはもうかなり暗い。菊姫(景勝正妻-信玄娘)をはじめ上杉家の夫人や重臣の墓の並ぶ奥に、松、桜の古木と石垣に守られて、兼続の墓はあった。よく見ると、全く同じ形・大きさの館型の墓が2つ並んでいる。

 ひとつは兼続の妻、船さんのものだと分かって、胸が熱くなる。船さんが家付き娘で兼続は養子、かつ二度目の夫だとはいえ、やっぱり兼続さん素敵! 次回はきっと直江堤にもネと、兼続さんに約束する。 ついでながら、このお寺の隣には明治時代に建てられた重要文化財の山形大学工学部校舎(旧米沢高校本館)がある。

ルネサンス様式で英国人のデザインになるという。地震で一部壊れて修復中であった。 上杉神社の宝物殿や石の鳥居なども修復中で、古くに建てられた文化財にはかなり被害が出たようだ。

東北滞在中、一日に1回は震度3~4の余震があり、その度に思わず身構えたものであった。

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       米沢の兼続の墓所 ( click and large size )



8.中山宿の大欅 ('13.4.24.)



翌朝、米沢を一番電車で出発、もう一度満開の三春滝桜に詣で、郡山から磐越西線で会津若松に向かった。

その途中、駅に置いてあった観光パンフレットで、中山宿駅近くに「中山宿の大欅」があると知り、急きょ途中下車する。名のある巨樹は見逃せない。 今回も「杉沢の大杉」、「片倉の大梨」、「高瀬の大欅」などを当初から旅程に入れていた。

なかでも、二本松市郊外の杉沢の大杉は圧感だった。真実感動した。高さは50mを越し、樹齢1000年を数える天然記念物指定の端正な一本杉である。 惜しむらくは周辺が大杉を見せるために整備され過ぎていたこと。

私の望みは、桜にしてもこうした巨樹・古木にしても、鎮守の森や自然の中にひとり立つ姿と静かに対峙することだから。

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       杉沢の大杉 ( click and large size )

さて、その中山宿大欅はどこにあるのか。

パンフのイラストでは分からず2時間後の次の電車が気になりだした頃、らしき大樹を見つけた。個人の家の庭に立っていたのだ。あたりの風景にそぐわぬモダンな豪邸に訪いを入れると、同年輩の奥様がどうぞご自由に、と招き入れて下さった。

ご主人が横浜での仕事を終え大庄屋だった実家へ帰郷された由。そこで私は外したメガネを見失ってしまった。電車の時間は迫るし、暗くなって大弱りのところ、奥様が探し出して下さって胸をなで下ろす。

 熱いお茶にヨモギもちのおもてなしまで受けて、駅に走った。身も心も温まった中山宿を、決して忘れない。



 9.会津若松の名桜  ('13.4.25.)


2泊した会津若松では宿を取るのに難儀した。原発事故から避難してきた人や全国からのボランティアの方々が溢れていたからである。このことがなければ東北に震災があったことなど忘れてしまいそうなほど、会津若松はのどやかな春の日々であった。

昨晩、中山宿から会津若松に辿り着いたのは8時過ぎ。今朝は「千歳桜」と「虎の尾桜」を訪ねる。 只見線に乗り「根岸」という無人駅に降りた。

千歳桜は‘13年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のタイトルバックに使われている「石部桜」と同じ会津五桜の一つ。 いずれも長寿の大木で、花の色や幹の姿に特徴のある、名桜である。

洗練されてはいるが線の細い京都の桜たちに比べ、三春といい、二本松といい、置賜といい、東北には圧倒的な個性で迫る長寿桜がそこいら中にある。

多くは里近くにあって、ずっと大切に守りあがめられ、また、人の世を見守ってきたことが分かるものばかりである。 こうした古桜は日当たりのよい斜面にあったり、独立樹が多い。遠くからでもあれだ、と分かる。

しかし、田舎の道は見た目より遠い。歩いても、歩いても遠ざかる。霜が降りたらしい田圃道をザクザク踏んでやっとたどり着く。「千歳桜」は今までのどの桜よりつぼみの紅が濃く、小ぶりだがあでやかな花だった。

さて、次の虎の尾桜は?と、周りを見渡していると、細い農道を一台の車がやってきて、一人の中年男性が降り立った。今朝二人目の花見客である。

その人は、
 「何もすることがなくて退屈してね、会津の桜を撮影して回っている」 
 と言って苦笑いをした。原発事故で会津若松に避難して来ているといういわき市の人。

今回の旅で出会った数少ない花見客で話かけてきた人は、みな避難中の人だった。 持ち出した唯一の品というカメラは、望遠レンズ付きの超立派な一眼レフカメラ、お願いして記念写真を一枚撮ってもらった。

これが、この旅での私の唯一のポートレイトである。会津若松に戻り、お城はじめ市内の名桜を、灯ともし観る夜遅くまで巡り歩いた。

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         千歳桜と姥桜 ( click and large size )



10.「山都」の山の上で  ('13.4.26.)


8日目の最終日は、磐越西線で途中下車して「鏡池の桜」と天然記念物の「野中桜」を訪ね、長岡から上越・東海道新幹線で帰阪することにしていた。

 学生で満員の会津若松8時過ぎの電車は、喜多方と山都でほとんどの乗客を降ろし、コトンコトンと出て行った。 「山都」は「ヤマト」と読む。漢字も読みも何だか雅な雰囲気に胸ふくらませて下車したが、学生がぞろぞろ一つ方向に去った後は、駅前にタクシーが1台きり、誰もいない、何もない。

 目指す桜は歩くには遠いので、 「鏡池の桜へ」 とそのタクシーに乗り込もうとすると、運転手はにべもなく、 「まだ咲いとらん」 ドアをバタンと閉めると、出て行った。エーッ、次の電車まで3時間もある。

 仕方なく、周辺を歩いてみることにする。 山都は飯豊連峰の登山口の一つで米沢の裏側に当たり、阿賀川と一の戸川が合わさって阿賀野川になる合流地点にあると駅前の地図で知る。喜多方から狐の嫁入りで有名な津川への街道沿いらしいが、全く人影がない。

両側に古い家の並んだ道を進み大きな橋を渡ると、すぐ山に突き当たった。 上り口に掲げられたまだ新しい「和尚山ハイキング道」という看板を見て、細い道を登ってみた。

やはりまだ雪が溶け出たばかり。 地面は薄茶色に汚れているがあちこちにふきのとうが顔をだし、けもの道程度の道の周りには豆ほどの小さな桜の花まで咲いている。

何だかうれしくなってどんどん登る。 中腹でふと振り返ると、そこには、それは美しい、優しい景色が広がっていた。  川に沿って黄緑色が柔らかである。

柳でもあろうか。周囲の山々も木々の微妙に違う芽吹きの色で染め分けられている。 遠く裾が水色にけむる山は頂が真白に輝いている。

北と東から合し西に流れていく川にいくつもの色や形の違う橋が架かってい、それが景色を引き締めている。 中でも目の前のJR鉄橋(後注)は、川面から相当な高さにあり、なかなか風情がある。

おりしも小さな電車がごとん、ごとん、と会津若松の方に向かって鉄橋を渡っていく。 遠くかすかに水音が聞こえる。小鳥の声がする。昨日の寒さから今日は一転、うらうらと暖かい、

「春だなあ」
座り込んでぼんやり眺めていると、三春で遇ったあの「変なおじさん」の声が聞こえてきた。
 「僕だったら、ひとりでなんか、よう出さんなぁ」 
「気を付けて」
ふいに、涙が出た。

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     一の戸川鉄橋 < 注: 明治43年築石積製,高さ24m >
              ( click and large size )


2011年は築100年であったことになる。後で知ったのだが、レトロな橋梁として人気のカメラスポットなのだそう。電車の通るのをぼんやり見ていて、「後でカメラ」と気が付いたが遅かった。


                             了 



          Written & Photo taken
            by Mrs.Inomata
         ('13.12.09.)


                       
                          UP


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dengakudan at 11:10|PermalinkComments(0)

4. 「北山に還る」By Mr.Kawakami




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By Mr.Kawakami.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi





          京都・北山に還る

 


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 ■もう一度北山に



七十路を迎えた今、五十年近く前の山のことを思い返しています。

学生時代に大学の屋上から北を望むと、京都盆地は晴れていても、北山しぐれで淡く霞んでいたり、鉛色の雪雲に覆われていた「北山」のことを。
 

京都盆地の東北には比叡山、西北には愛宕山という京都鎮護の両山がありますが、その間を埋める北山には、これといった秀麗な山影も、険峻な岩峰も見られず、ただ千メートルたらずの低山が累々と峰を重ねているばかりでした。


そこはいわゆる凡山凡水の山と谷の連続でした。 大学が京都の北のはずれにあったこともあり、また遠くに出かける金銭的ゆとりもなかったので、週末には毎週のように手近な北山の峠を越えたり、沢沿いの道を遡ったりしていました。


高校時代に病気で休学していた私にとって、ただ歩くことがよろこびであり、春夏の合宿で遠出する以外は、ほとんど北山で過していました。京都の学生たちにとって、北山は、近く山と接することのできる、いわゆる「ゆりかご」のような存在だったのです。


今のようにトンネルもバイパスもなく、もちろん舗装もされていない細い峠越えの道を、ボンネットバスは、小さな集落の軒先すれすれに、あえぎながら峠道を北に向かっていました。


バスの最前列には、キスリングやテントを置く荷物置き場があり、停留所でなくとも、手を挙げれば、どこででも止まってくれるというのどかさでした。最終バスに乗り遅れたときには、敦賀街道や鞍馬街道の峠越えの道をひたすら歩き、月曜日の早朝に、やっと大学までたどりついたこともありました。


卒業後、京都を離れ、旅への関心も各地に広がり、仕事が忙しくなったこともあって、ときおり北山を訪れることはありましたが、心は北山から遠のいていました。


そして、五十年が過ぎ、七十路を迎えた今、再び北山に還ってみたいと思っています。青春時代を過した北山へのなつかしさからではなく、あの頃、ただ漠然と歩いていただけの北山に秘められた歴史の奥深さに触れてみたいと思うようになったのです。


若い頃には、大原、高雄、栂ノ尾、鞍馬などの有名な社寺以外には深い関心も寄せないまま、山中の小さな社寺の鳥居やお堂の前を、ただ通り過ぎていました。山深くに佇む社寺に、都での勢力争いに敗れ、この山中に落ちのびた都人の落胆や哀しみや怒りの歴史が潜んでいようとは、思いもよりませんでした。


峠の暗い木の陰で、お地蔵様や道標に出会うこともありましたが、お地蔵様に手を合わせて峠を越えていった杣人や行商人の想いに心寄せることもなく、ただ先を急いで峠を越えていました。


山中に秘められた京文化や人びとの歴史に関心を持つようになったのは、ずっと後のことです。 そして今、北山杉に覆われた繊細な山肌を眺め、湿りを帯びた杉林の空気に触れ、杉の落ち葉や滑る沢の感触を足裏に感じながら、ゆっくりと峠道や沢道を歩いています。


北山山中に滲み込んだ都の文化の香り、歴史の狭間にこの山中に逃れてきた都人の心情、山中に暮らした人びとの日々の生業(なりわい)、若狭から京都へと峠を越えていった人びとの足跡などに出会えるかもしれません。


東山魁夷や川端康成を魅了したこの山のこまやかな美しさ、この山中に滲み渡る水上勉の作品に記された哀しみの一端を、知識としてではなく、素肌や足裏で感じ取れるかもしれません。


kitayama
                              ( click and large size )



 ■北山の個性とは



深田久弥が「日本百名山」選定に当たって、三つの基準を置いています。


まず第一に「山の品格」を上げています。

 「誰が見ても立派な山だと感歎するものでなければならない。・・・・・・凡常な山は採らない」と述べています。秀麗な嶺を持たない「凡山凡水」の北山は、そういう面では失格かもしれません。


第二に「歴史」を上げています。


「人々が朝夕仰いで敬い、その頂に祠をまつるような山」であり、「山霊がこもっている」山だと言います。


北山は、京文化や仏教文化の歴史、京を追われた都人のかくれ里としての歴史、この山に暮らす人びとの歴史という面からは、いかなる山にも引けをとりません。


そんな歴史が、峠道や沢道に匂いたつような山ですが、「人びとが朝夕仰いで敬う」とか、「山霊がこもる」いう深田久弥の弁は、北山の歴史とはニュアンスが異なるようです。


第三に、「個性」を上げています。


「・・・・・・芸術作品と同様である。その形体であれ、現象であれ、ないしは伝統であれ、他に無く、その山だけが具えている独自なもの」であり、「強烈な個性」が必要だと言います。


そしてここでも、「どこにでもある平凡な山は採らない」と述べています。 北山は、「どこの山にもないさまざまな個性や歴史が匂いたつ山」だと思いますが、いったい「個性」とは何なのでしょう。


「平凡」とは何なのでしょう。「平凡」であることには、なぜ価値がないのでしょう。 北山をこよなく愛した「北山クラブ」創設者、金久昌業は、著書『北山の峠』の中で、こんなことを述べています。


「普通、あの山はいい、あの山はよくない、という価値基準は、眼を瞠るような絶景があるとか、凄絶な滝があるとか、雄大な眺望が展望するとか、山脈のスケールが大きいとか、すべて自然景観の上からのみなされることが多い。


このような価値観からすれば、北山はただ緑の木々が生えているだけで低く、どれにも当て嵌まらない無価値の山であり、凡庸の山である。


・・・・・・ところが北山とくに賀茂川流域の山々などを歩くと、文化などというと大そうであるが、そこはかとなく洗練されたものが感じられる。


文化が自然に融け込んだ山域というのであろうか。山の佇まいやなんでもない道の曲折にも美しいものが窺える。

・・・・・・ある意味で平凡とは洗練の極致なのかもしれないと云えなくもない、ふとそんなことを感じさせてくれる峠たちである」

北山の「個性」を言い尽くしている言葉かもしれません。



また谷崎潤一郎は、小説『芦刈』の中で、大山崎あたりの風景を
「なべて自然の風物というものは、見る人のこころごころであるからこんな所は一顧のねうちもないように感ずるものもあるであろう。

 けれどもわたしは雄大でも奇抜でもないこういう凡山凡水に対するほうがかえって甘い空想に誘われていつまでもそこに立ちつくしていたい気持ちにさせられる。こういうけしきは眼をおどろかしたり魂を奪ったりしない代わりに人なつっこいほほえみをうかべて旅人を迎え入れようとする」


と述べています。この一文は金久昌業の北山に対する思いにも通ずる言葉です。



 山の価値とは、山が人の心にどれだけ滲み込んでいるか、そして人の心が山にどれだけ滲み込んでいるか、山と人とがどれだけ心を通わせているかによるような気がします。ともすれば、日本人は、ガイドブックによって、歌枕的に名所旧跡を訪ね歩く旅に陥りがちです。



 既製本に記された百名山を求めるだけでなく、人それぞれの「こころごころ」による感受性や価値観や美意識によって、自分自身の名山を生み出してほしいと願うのです。たとえそれが他の人にとっては凡山凡水であったとしても。



 たまたま押し入れを整理していると、昭和四十七年に撮った、いくらか変色したモノトーンの北山の写真が出てきました。


山の林業が盛んだった頃に、山肌が伐採されている写真、伐採した木を運ぶために谷沿いに設けられた木馬道(きんまみち)の写真、祇園祭に使う粽(ちまき)の笹を軒下に干している写真、茅葺屋根に使う茅を萱場に干している写真、勇壮な千木をのせた茅葺民家の写真などです。


 あの風景は今どうなっているでしょう。あの伐採跡はすっかり成熟した杉の美林に再生されているでしょうか。軒下の洗濯物のそばで遊んでいた子供たちは大人になり、村を去ったでしょうか、今も軒下に粽の笹は干されているでしょうか。


 ただなつかしさからセピア色の写真を眺めるのではなく、再び北山の道を歩きながら、若いときに歩いた北山の記憶に、いま感じ取れる京文化の香りや杣人のいとなみの文化を重ね合わせてみたいと思っています。



もうしばらくこの足で歩くことができる間に・・・・・・。



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 Written & Photo taken by Mr. Kawakami
                (2013.05.31.)


川上氏の書籍購入はここから


                       UP



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dengakudan at 11:07|PermalinkComments(0)

5. 「油彩の近作」By Mrs.Kawakami




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mrs.kawakami.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi





 油彩の最近作と近作



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1.芦生の森



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深い森の中のぶなや栃の原生林で
F12×2
      ( click and large size )





2.ある日・・・
(1)



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         ( click and large size )




                         (2)





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娘にいろんなポーズをとってもらいました。出来上がりをみて「ウ・・・ン」 SM
         ( click and large size )




3.秋日和 画材を持ち寄ると柿ばっかり
 




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         秋なんだから仕方ないか! F12
                 ( click and large size )



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         Painted by Mrs.Kawakami 


          si4-yuki35





dengakudan at 10:54|PermalinkComments(0)

6. 「直しながら すすむ」By.Kawasaki




Romigo
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The 70Years Old
By Mr.Kawasaki.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






        
   
なおしながら すすむ



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 ロミーゴの皆様、お久しぶりです。

幹事の熱意と言葉(PC入力)に、甘えて、文集の原稿を書きます。  

皆様も同じような年齢の筈ですが、私も70歳になり、この頃、日々が早く過ぎていく気がして仕方がありません。

師走のせいではなく、今回の文集を契機に、少し自分の考えをまとめようと思ったのですが、ハタと困っています。何も考えていないんです。

 58歳で会社を辞め、60歳で肺の疾患が見つかり、医者に1~2年で病状が出てもおかしくないと言われました。

私なりに色々悩み「ロミーゴの集い」の際にもボヤキましたね。だけど、それからもう10年になり、その間に母も妻も先に行き、今は一人暮らしです。

 しかし、70歳にもなると、肺以外に何があってもおかしくない年齢ですよね。

そう考えると、

「この10年何をやってきたんだろう」、

会社人間だった時代からの流れをそのまま、1年、また1年と継ぎ足して過ごしてきただけなのではと、今は顧みています。

今の私の生活は、 

 ①生駒市子ども会の関連

 ②工作教室「いこまっ子教室」の関連 この2つは、世話をしているつもりで、私が子ども達に世話をされているようです。

 ③生駒市日中友好協会の関連 ④写真教室 という、これらの4つが軸になっています。

写真は、2年ほど前から、ハイキングを兼ねて始めましたが、今は先生について習っています。

その他、退職後3年ほど、「手づくりおもちゃ」を試みましたが、情熱と資金がついていかずに、今は辞めています。

また、①②は、もう体力がついていかず、来年度で引退したいと思っています。

これぐらいですが、前にも述べたように、1日1日、1年1年の継ぎ足しで、何もまとまっていない気がしています。

今、70歳になって、「ならばこれからどうするの」と自問しています。今さら義務感なり、目標なりと縛られるのはいやだし、本当にどう生きていこうかと迷っています。

 最近、講演で聞いた、

 「修」(なおし)ながら、 「行」(すす)む、から修行という。

 奈良薬師寺執事・大谷徹装 ※ (高田好胤和上の弟子) この言葉が、気に入っています。

「まあ、なるようになるさ」 (「なるようにしかならない」) 来春、お会いできるのを楽しみにしています。

 
                                    了 

 

※大谷徹装氏の装の字は、正しくは下が大になっていますが、その字が活字にはないので、装の字を使ったことをお許しください。



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 (1)宝ヶ池より比叡山を望む桜 (click and large size)



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(2)大阪城公園の桜 (click and large size)




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(3)宇陀市諸木野の桜 (click and large size)




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(4)宇陀市仏隆寺の桜 (click and large size)




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(5)我が家の紫陽花 (click and large size)




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(6)奈良市喜光寺の蓮 (click and large size)




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(7)福島で被爆した種を植えた奈良市のヒマワリ
      (click and large size)




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(8)橿原市本薬師寺跡の布袋葵 
(click and large size)




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(9)橿原市藤原旧跡のコスモス (click and large size)




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(10)滋賀県東浅井郡鶏足寺の紅葉 
(click and large size)





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     Written & Photo taken by Mr.Kawasaki 
('13.12.16.) 

                                  


    UP  




    si4-yuki35









dengakudan at 10:50|PermalinkComments(0)

7. A Greeting Card By Mr.Shimahara




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Shimahara
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi









romi30x
ご本人から、辞退の連絡が届きましたが、自作の水彩画による
年賀葉書ですから、これが作品であると理解しました
ので、掲載させていただきました。尚、ご本人の
住所と氏名は個人情報保護の観点から
消去処理をしました。
(2014.01.03.)







dengakudan at 10:44|PermalinkComments(0)

8. Acrylic Printings By Mrs.Takatani




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mrs.Takatani
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






      Acrylic Paintings







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これも自作のアクリル画を印刷された年賀葉書ですから、
作品であると理解しましたので、
掲載させていただきました。
(2014.01.03.)




アクリル画の紙焼き4枚が送られてきましたので、
次に掲載します。(2014.02.27)

IMG_1265
     1.胡蝶蘭(八つ切り)



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  2. シンビジゥム(八つ切り)


IMG_1261
 3. シンビジゥム(葉書サイズ)



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 4. フウラン(葉書サイズ)

<紙焼きを再度デジカメで撮影してからUploadしましたので、元のアクリル原画と比較して、その精度と彩度が今一なのを、おゆるしください>








Painted By Mrs.Takatani
                   

                                 si4-yuki35










dengakudan at 10:36|PermalinkComments(0)

9. 「音楽との関わり」By Mr.Takeda




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Takeda.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






            音楽との関わり 



はじめに


残念ながら文章にするような題材も持たないので、今取り組んでいるチェロに関連して、

第1部 小生の音樂との関わりを思い出すまま、思いつくまま書き連ね

第2部 チェロに関わる詩、俳句、童話などの色々な出処からの拾い集め

第3部 教室の発表会、プロの演奏会の感想など

第4部 発表会向け「シチリアーノ」練習記録

第5部 大人の音樂教室での教えて頂いた日のノートから小生の誕生日近辺の抜粋


をなんとか書きあげたので、お暇な方はご一読ください。特に第4部、第5部は本当に面白くもない小生の備忘録なので、お読みにならない方が良いでしょう。

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第1部 小生の音樂との関わりを思い出すまま、思いつくまま書き連ね

小学校入学前 当然ながらTVはなし、音楽はレコードで聞くには我が家にはプレーヤーがなかったから、専らラジオからの音楽。笠木シズ子、美空ひばり、バタやんなどの流行歌を良く口にして歌っていた、細い路地を歩きながら大人の歌を歌っていると「上手!」と褒められたのが嬉しかった。

 戦後の貧しい時期、それでも若者が集まって青空楽団で天神橋通りの少し広くなったところでドラムなどを叩いているのを見るのも好きだった。ラジオでは日曜日昼の「のど自慢」、月曜日夜だったと思うが「三つの歌」など素人が歌う番組、またプロの歌手が歌う歌謡番組など良く聴いた。

当然ながら童謡も好きで良く歌っていた。いまでも当時の懐かしい童謡は憶えていて、「故郷」「りんごの歌」「お山の杉の子」「月の砂漠」などなど。当時の子供達とは何ら変わらない音楽との関わりであった。

小学校 1年生の担任の先生は音楽を得意とされていたようだ。 小生は何も分からないまま、どういう訳か一人選ばれて、別の小学校に小学唱歌を歌いに出かけることになり、その時は少し寒かったため、お袋が手編みをしてくれた黄色の色を主体に色々な色糸が混ざった編み上げセーターを着ていたが、

今から思えば少し綻びもあり確かに人前で歌を歌う折、着る物としては見窄らしく、先生からもう少し良い着る物はないか、家に帰って着替えて来るように言われ、家に引き返したが、自分はこれ以上の着る物を持ち合わせていないのは分かっていたから、そのまま学校に戻ると先生は止むを得ず了解され、

その着物のまま別の小学校まで歩いて出かけた。 講堂のようなところで小生は暫く待ったが、先生はどこかに行かれて、確認をされたのか、どうもその催し物は日が違っていたらしく、そのまま何もすることも無く戻ってきた。

この事は小生にはどういう訳か今でも鮮明に思い出す出来事であった。当時我が家は戦後間もなく貧乏であり、こういった行事に綺麗な洋服を整えられるほどの余裕もなく、子供心に親にも内緒であった。

 お正月には講堂に全校生徒が集合し「年の初めに」を斉唱してお祝いを行った。 2年生の夏には取り立てて何の楽しみもないので、学校が演芸会を催し、校庭に簡易の舞台を作り、りんごの歌を使って、女の子が踊り、男の子が歌う行事を催した、この折は何人かの男の子と一緒に歌った。

 4年生では教室のオルガンではなく、ピアノのある音楽教室へ移動しての音楽の時間であった。

 これは音楽とは無関係のお話しではあるが、階段を登って音楽室に移動するおり、当時小生の靴は所謂ゴム一体成型のズック靴で、校庭で走り回って遊ぶと、この靴は当然水分を吸収しないから汗が溜まり、土ホコリとともに、誠に汚い状態、

それを受け持ちの若い女性の先生は、小生が階段を上がると後から上がられて、丁度先生の目と鼻の先にそのズック靴が位置することになり「臭い!!」と言われた、ただそれだけの当たり前のことだが、やはりどういう訳か記憶に残っている音樂室への移動時の出来事。

 これも我が家の貧乏を表しているか、当時の良い靴は所謂布地で作られた編み上げ靴であり、これであれば恐らく汗も吸い、それ程汚くはならなかったであろうと思われる。 中学校 1年生の入学を終えて、恐らく1週間もしない時に、音樂教室に30名程の新入生が集められ、行き成りクラブ活動として音樂をやらないかとの勧誘。

 小学校の遊びは当時盛んであった野球で小生はソフトボールを公園に集まりやったものだが、中学校でのクラブ活動に何をするかのイメージは特に持っていなかったので、何となく音樂も楽しいかとその場で入部を決定した。

音樂教材として管楽器が略揃っている。 後になって判明したことだが、1年先輩に音樂好きがおられ、その方はフルートを吹いておられたようだが音樂教諭に頼み込み、ブラスバンドを翌年の新人狩りをして立ち上げようと目論見をされたということであった。

楽器は教材として、管楽器はトランペット・トロンボーン・ホルン・バス、木管楽器はフルート・クラリネット・アルトサックス、打楽器に大太鼓・小太鼓など、音樂教室後の倉庫に沢山収納されていて、一応の担当楽器は決められ、

1年間はそれを確り習得しようとした、小生はトランペット担当であったが、全く要領を得ず、開始して1週間程は全く音が出ず、スースーと空気の抜ける音だけ、楽器本体からマウスピースを外して、先生が例を示すべく当てた唇に息を吹き出すことで唇がブーブーと振るわせ、これが本体を通ると綺麗な楽音になることがやっと理解出来、その後は正に取り付かれたように練習に明け暮れた。

 当時ジャズが大流行りでサッチモがハイノートのトランペットを吹き鳴らしていたのに憧れた。


何の期待も持たず親父にトランペットを買ってと願ったら、今までとは違って少しは家計も余裕が出たのか、青空楽団があった、天神橋五丁目交差点の北西角の木造3階建て旅館、パン屋、その隣に楽器店があり、小生は恥ずかしかったが大阪人特有の買い物は全て値段交渉ということで値下げして購入してもらった。

 思いもよらないことで正直嬉しかった。2年生になるとクラブ活動も少し余裕が出来、担当楽器だけでなく、教室にある楽器全て、お互いに操作を教え合って習得していった。

小生はその中でもベニー・グッドマンのクラリネットが気にいったようで、良く吹いていた。

サキソホーンも中々面白い音色の楽器と好ましかった。という訳で教室の楽器は全て何なりか吹奏出来た。 クラブの発表の場は今のようなブラバンコンテストが有る訳でもなく、

体育祭開会式の全校生徒入場行進のバックグラウンドとして、「君が代行進曲」「クワイ河マーチ」など、対して多くはないレパートリーの行進曲を息切れ切れに吹奏した、

廻りからはまたチンドン屋が始まったと揶揄され、行進の足もリズム感不足で乱しがちだったが、何しろ唯一の発表の場、それなりの満足感はあった。

また先輩に連れられて中之島公園で大阪市吹奏楽団、消防庁吹奏楽団あるいは阪急百貨店吹奏楽団などの音樂をプロムナードコンサートと称してよく聴きに出かけた。 また大阪府立体育会館に色々な中学校が集合して朝比奈隆指揮、関西交響楽団のクラシック生演奏を聴かせてもらった、ズッペ作曲の「軽騎兵」が演奏され随分と感激した。

 3年生になり10月の体育祭も終了すると、クラブ活動は終了、引退。ただ小生は放課後の時間を家に帰って高校受験の勉強をする気に中々なれず、音樂教室の隣の用務員室から楽器収納庫のキーを借用して、一人で主に音のやや小さめなクラリネットを吹いて楽しんでいたが、学年主任の理科の先生によく見つかり、「帰れ!」と度々怒られた。

 高等学校 高等学校では今度は中学と違って運動クラブに入部しようと考えていた。というのは中学時代体育祭などで100M走などを行った後、気持ち悪くなり吐き気を催し教室の隅で休まねばならない状態であり、これは間違いなく伸び盛りに運動不足と感じていたからである。

 当時正田美智子さんのテニスブーム。右に倣えで入部するとおよそ80名もの新入部員、4面しかないコートで、ネットの外で、飛んで来もしない玉拾い役。経験者でもなく、その他大勢ということで一度もラケットを手にすることなく3日間で退部。

中学時代一緒にブラスバンドをやった友人も同じ高校に入学し、彼も初めからこんどは運動部と決めていたようで、ラグビー部に入部した。

 テニスを止めて放課後は暇だったところ、彼から誘いがあり、正直ラグビーの厳しさなどなにも知らないで、親父はそんな厳しいスポーツ出来るかと聞いただけで、兄貴も柔道をやっていて、家族からは特に止めろということもなく、活動開始。初めは例の走ると気分が悪くなる状態で随分と他の部員には迷惑をかけた。

 ランパスと称してグラウンドの端から端まで、楕円ボールをパスしながら何往復も繰り返す、走れなくなって途中で倒れ校舎の脇で休息を取ることが度々。

誠に厳しい練習であった。ということで高校時代は音樂クラブ活動を離れたが所謂芸術系の選択科目に書道・美術・音樂があり、これは迷わず音樂を選択(大学入試に絵の試験があることなど当時は知るよしもなかった)、

担当教官は木川田 誠先生で二期会に所属されていたプロのバリトン歌手であった。 一週間に2時間、1時間目は挨拶の後、先生のピアノに合わせて歌を歌う、印象に残った歌は「オーソレミオ」で、原語で一人ずつ生徒の前で歌う、声替わりをして以降、まだ楽器を触っていたので、声の方は疎かになってしまい、昔は良く声が出ていたと思うが散々な出来。

 2時間目はレコード鑑賞の時間、これは皆の素晴しい休息の時間、クラブ活動、あるいは他の授業に疲れて眠ってしまってもOK、誠に良き息抜き。

 小生はクラシックを聴くことも嫌いではなかったので、居眠りもせず、割合真面目にレコードを聴いた、ベートベンの交響曲、シューベルトの未完成交響曲など、色々な交響楽団あるいは指揮者で聴き比べなどもして頂き、今までどちらかといえば歌謡曲・ジャズ・吹奏楽を聴くのが主であったがクラシックも随分と興味が湧いた。

 そんなことでまさか大学の学科に絵に関わった科目を選択するとは思わないので所謂図画工作は嫌いではなかったが、小さい頃小中学時代は好きな得意科目でもあったが、高校時代は全く手付かず。

 大学 浪人してこの最後の受験機会に失敗したら大学は諦めと親から言われていたのが、中学3年生の美術担当の先生が 「お前は団子鼻だな、ワシの如く高い鼻にするには鼻咬みの時、上へ引き上げるようにしろ。

ところで、お前、高校は決めたか?大阪の工芸高校に行け」 という言葉があったが、全半は人の欠点を論って嫌な教師と思ったが、後半の言葉だけは有り難く拝聴し、これに押されて、意匠工芸を選択、何とか引っ掛かり大学生活を送れることになった。

親父は中学の時に脳梗塞で倒れ、それ以来工業高校を出た兄貴が親父の仕事を引き継いで、正に兄貴に学資を出してもらった形、当然家業の手伝いをすることを約束に通わせてもらったが、

高校時代にラグビー部を退部し、大学ではラグビーをやるという友人が同じ大学に学部は異なるが入学し、またラグビーに熱心な先輩が居られ、高校時代のラグビー経験者の入学はそれ程ないので、この先輩に熱心に執拗にラグビー部入部を勧誘された。

小生は家業を手伝うということで、いわゆる学生アルバイトもしない約束であったが、どうしてもラグビー部入部の勧誘に抗しきれず、母親だけの了解を無理矢理得て、親父兄貴には気がつかれないように、またまた大学でラグビーをやるハメになった。

 幸い属するリーグはそれ程強いチームはなく、合宿は不参加、家業手伝いに忙しい時の練習不参加などあまりにも手前勝手な条件を飲んでもらってのことであった。

大学では出来るだけ絵を描く時間を取ろうとして、クラブ活動はまさにサボりサボり。 音樂との関わりは大学生活では余りなかった。

1回生の教養科目に大講堂での集合講座で古楽のオラトリオ聖歌のレコードで聴かせてもらう講義があったのが唯一音樂との関わり。 初めて聴いた音樂でこういった種類の音樂もあるのだとその折は感激した。

またドイツ語の教授が最後の授業で日頃鍛錬されているヴァイオリンを聴かせて頂ける機会があったが、小生この折、多分抜け出してラグビーの練習をしていて聴くことが出来なかった。

 ラグビーのコンパでは飲んだ勢いに任せて、大声で応援歌を歌い青春を謳歌した。学園祭などではダンスが盛んであったが小生は壁のシミで音樂に載って踊るのとは程遠かった。

これは余談であるが、小生の入社に関連して、会社引退後、秩父の宮ラグビー場で元会社のラグビー同好の3人が試合観戦中、たまたま入社の話が出て、判明したことであるが、

大学に面接に来られた会社の方はやはり芸大でラグビーをやられていて、

 「お前が入社したのは正にラグビーを大学でやっていたからだ、絵の描ける人間は同期に一人居れば充分、後の人材は何れ程潰しに耐えられるかだけだ」

ということであった。

また4月に大学での面接後、6月に横浜まで出かけて、会社役員との面接があったが、この折、 「ラグビーをやっていてデザインが出来るか?」 と、当時副社長だったやはり元ラガーマンから質問があり、

「ラグビーは一回のパスで相手防御を抜く非常に華麗な、美しいプレイが求められる、デザインも当然美しいものを求めていく、従ってラグビーをやっていてもデザインは出来る」

 と詭弁を弄したが、面接が終わり、当時既に新幹線は走っていたが、東海道線の帰りの急行電車の中で、これで面接は間違いなく落とされ、入社は出来ないと思いながら家に着くと、既に会社から電報が入っていて、入社決定の知らせを受けた。

ラグビー仲間からお前は“ビスのデザイン”をやりに行くのかと冷やかしを食らった。 余談の余談であるが、現在ラグビー全日本代表のヘッドコーチを務めるエディー・ジョーンズ氏がTV番組で全日本代表の狙う戦術について話され、

 「狭いスペースでの速いパス廻しで相手を抜き去りトライに繋げること」であり、

「一つのパスで相手防御を素早く抜き去るのは非常に美しい」

という発言を聴いたが、小生が入社の役員面接で話したことと全く同じ思いを持っておられることを知り、心が晴れ晴れ晴れとした、

詭弁を弄して入社したとずっと後ろめたい気持ちがあったから。 会社独身寮時代 学卒を集めた独身寮が勤務地近くにあり、何かと地方出の事情の良く分からない新人の面倒を見てもらう形で、先輩と二人で部屋を共有したが、その同居の先輩がクラリネットを持って居られ、たまに夕方などに吹奏されていた。

 中学時代に吹いていて、しかもどちらかと云えば熱心に練習した楽器なので、厚かましくも吹かせてもらっていいかお願いしたところ、いない時に勝手に使用していいよと有難いお言葉。

しかもこの先輩は東京に実家があり、通勤の都合上独身寮に入居されたということで、土曜日、日曜日は良く実家に戻られ、借用出来る時間が充分にあった。

 そんなことで、また好きな楽器演奏が全く苦労することなく可能になった。 また他に楽器の好きな方が住まわれ、リコーダーが良く聴こえていたが、非常に上手でプロかと思われるほどであった。

また同じデザインの仕事をする同期の人も同じ独身寮でギターが随分と上手で、ギターの名曲「アランフェス」を部屋で聴かせてもらったりした。

 結婚後 娘が生まれ、義理の父親母親から孫へということでアップライトピアノを買って頂いた。当時日本も少しずつ豊かになり子供にピアノを習わせるのは全くどこにでもあることであった。

 この折ピアノ販売営業にお話しすると、ピアノの他に社内販売で安く楽器が手に入るということで、娘と一緒にピアノ練習するかとも思ったが、迷わずフルートを合わせて購入した。

総銀製で今では随分と高価な楽器であったが、奥さんにも無理を言って買ってもらった次第。 フルートを選んだ理由はただ一つ、色々な吹奏楽器の中では間違いなく最も音が小さいその理由だけであった、何しろ会社の社宅の中で演奏するのであり、近所迷惑は最も配慮しなければならないから。

 フルートはまた中々吹奏するのに難しい楽器で澄んだ音が得られず、濁ったスースーと息の抜けた音から脱却出来ない、その意味からも取り組むべき良い楽器であった。

当時ランパルが第一人者、日本では吉田雅夫がTVなどにも出演し、また教育TVでは講座もあった。

その後ベルリンフィルのカラヤンと分かれたフルートの主席奏者が来日するようになったのがアイルランド人のジエームス・ゴールウエイ。ランパルを上廻る力量で高音から低音まで素晴しく太い澄んだ音を、誠に素早い超絶技巧で演奏し、来日毎にコンサートに出かけるようなことであった。

定年退職後 何か趣味的な事でも始めないと時間を持て余して大変なことになるかと思われたが、幸いなことに現役時代からの森林ボランティア、陶芸、木工など暇潰しにはなった。

山梨小屋に移動する車の中で義理の弟にもらったヨーヨー・マのバッハ チェロ無伴奏組曲CDを聴くうちに、自らもチェロを弾きたいと思うようになった。

フルートはずっとやってはいたが、段々息が弾み、歯も甘い物好きで歯茎が悪く、抜け始め、もはや吹ける身体ではなかった。

弦楽器、特にヴァイオリンはどういう訳かあの甲高いキーキー音が好きになれなかったが、チェロの音域は楽器の中でも人間の話す音域に最も近いと言われ、好ましく思っていた。

 また楽器の中では座った演奏ではあるが、腕肘指を使い、身体を動かすには良いかと思っていたところ、たまたま新聞にヤマハの「大人の音樂教室」のコマーシャルが出、体験教室を開催するということで出かけた。

 弦楽器は触れるのも初めてであったが、なかなか興味のある楽器だと思われ通うことに決めた。

一週間に一度程度は人ごみの中に出るのも良さそうとも思った。 いざ始めてみるとこれが中々の難物、先ず音程が取れないのが最大の難点、今迄色々な楽器に触れてきたが、これが最も音程を確り出すのに難しい楽器であると小生には思われた。

 また確かにフルートにしろ、クラリネットにしろ、少々の雑音は自ずと加わってこれを克服するのに苦労がいるが、チェロは間違い無く弓の動かし方で他の弦に触れるための予想外の雑音が出てしまい、これらの克服もまた大変、

こんな状態ではあるが、開始以来日記のように教室で習ったこと、起きたことなどをノートに記載し、物憶えが悪く、忘れ安くなった頭を少しでも補おうとした。

2004年以来9年経過するが、いまでも音程は定まらず、雑音は出る、指が動かないなど課題だらけではあるが、楽器を演奏する楽しみを充分に与えてくれる楽器になりつつあり、家族近所の迷惑も顧みず、今後も継続して行こうと思っている。

楽器は途中でヤマハのサイレントチェロの中古品をレンタルし、ある金額まで達すると自分の持ち物になる制度を利用し、いまや我が家での練習に欠かせない楽器になった。 

 何しろチェロは胴体の大きい分発生する音も相当大きいので間違いなく近所からクレームが来るところ、音量がアコースティックチェロの1/10程度であり、これなら左手弓使いと右手弦の指押さえ練習には充分答えてくれる。

アコースティックチェロは娘と奥さんが買ってくれた。やや高い買い物ではあったが、やはり本物のチェロがないと、本物の音も出せないので有難いことである。

専ら山梨小屋に置いてあり、あちらに行けば確り消音器も装着しないでギーギー楽しんでいる。

先生からも一生のお付き合いと言われたが、確かにこれからも身体が許す限りは継続して付き合って行こうと思っている。

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第2部 チェロに関わる詩、俳句、童話、話しなどの拾い集め

チェロを背負う人
斉藤 恵美子 

あるきだす言葉たち(朝日新聞より) 漆黒の光沢のあるチェロケースを 等身大の影のように 背負いながら 階段を降りる人。

木で包まれた たっぷりとした空洞の たてる音を 耳におもう 月曜日演奏の 核心は 音ではない 情念なのだ そう言ったのは どの大陸のヴァイオリニストだったろう 

ならば音から情念を 除くと 何が 絃にのこる?アルペジオーネ・ソナタが ふと 彼女の背中で 彼女だけを 抱きとる音色で響き始めてしまいそうな そんな ゆるやかな足取りを遠い沈黙を 見送るように しずかな気持ちで まだ見ている。

 草萌や 赤子の眠る チェロの箱
唐澤 南海子

芭蕉忌や バッハのソナタ 無伴奏  

NHK俳句投稿歌、課題“芭蕉忌” 法華経 宥和の思想 

人をして楽を作さしめ 衆の妙音を持って 歓喜の心をもって歌唱し 一の小音をもってせしも皆已に仏道を成せり

セロ弾きのゴーシュ(宮沢賢治童話集より抜粋)
ゴーシュも口をりんとむすんで、目をさらのようにして楽譜を見つめながら、もう一心にひいています。

「おいゴーシュくん。きみにはこまるんだがなあ。表情ということが、まるでできていない。おこるもよろこぶも、感情というものがさっぱり出ないんだ。それに、どうしてもぴたっとほかの楽器とあわないもんなあ。

いつもきみだけ、とけたくつのひもをひきずって、みんなのあとをついてあるくようなんだ。こまるよ、しっかりしてくれないとねえ」  

頭ひとつふって、いすへかけると、まるでとらみたいないきおいで、ひるの譜をひきはじめました。 譜をめくりながら、ひいてはかんがえ、かんがえてはひき、いっしょうけんめいしまいまでいくと、またはじめからなんべんもなんべんも、ごうごうごうごう、ひきつづけました。

「ゴーシュさんは、この二番めの糸をひくときは、きたいにおくれるねえ」

ゴーシュははっとしました。 たしかにその糸は、どんなに手ばやくひいても、すこしたってからでないと音がでないような気が、ゆうべからしていたのでした。

「ゴーシュくん、よかったぞ。あんな曲だけれども、一週間か十日のあいだに、ずいぶんしあげたなあ。十日まえとくらべたら、まるで赤んぼうと兵隊だ。やろうとおもえば、いつでもやれたんじゃないか、きみ。 いや、からだがじょうぶだから、こんなこともできるよ。ふつうの人なら死んでしまうからな」

チェロ発表会に参加した方の打ち上げで紹介された、タクシー運転手とチェロのお話し

第1話、
少し若い方がタクシーにチェロを乗せて発表会会場までお願いし、車が動き始め、運転手の一言

「これはヴァイオリン?」

これでこの方は運転手と言葉を交わす気になれなかったとのこと、あの大きな重いチェロを運んでいる者にとっては、誠に思ってもいない質問で誠に残念なこと! 

第2話、
生徒の中で最高齢の方がタクシーにチェロを乗せると、タクシー運転手が話し掛けてきて、

「何歳からチェロを始められたか?」 との質問に

「75歳からで今82歳、都合7年間やっている」 との答え。

「それはお幸せ!」 ということで、

「この会場にいる我々チェロを習っている人全員が幸せな人である」 との結びの言葉で盛大な拍手。

漢字並べ(横書きです、注意願います。)

只坐擦弦
対自脱自
共振交響
世界音宙

吾唯聴足
有琴有書
載弾載読  
字文消憂  

弓弦清心
朝夕安居
操弓弾弦
一弓百趣

聴福心福
犬馬難画
鬼魁易描
凡事徹底
手押弓擦
転迷楽音

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第3部 教室の発表会、プロ演奏会の感想など

2009年9月5日 

ヤマハ銀座仮店舗ホールでの先生の生徒が一同に会したチェロ発表会 会場到着リハーサル開始の5分遅刻。

直ぐ我々のリハということで楽器をケースから取り出し、音合わせもなしで舞台へ。ほんの数小節を1~2回演奏、ご挨拶をして退場。 本番まで時間があるので楽器をケースに収納、他の皆さんのリハを聴く。独奏の人もいて、あの素晴しいバッハ「無伴奏チェロ組曲 第1番プレリュード」を演奏する若者がいた。

 やはり若いうちから始めないとダメかと少しやる気を削がれる印象はあったが、それを理由に止めというのはこの高額楽器のことを考えると有り得ないので、その気持ちはそっと心の中に閉じ込めておく。

本番前楽器をケースから出していると娘夫婦、孫が聴きに来てくれた。 いつも演奏会では頭が真っ白になって途中中断を起こすが、今回は舞台が同じフロアで直ぐ前に聴衆がいる状況で、変な引っ掛かり音が出ないようにだけ注意し、何とか頭は白くならず演奏出来た。

 演奏を終え、舞台から離れようとすると、孫が花束を渡してくれ、まさかと思い感激。この大物チェロの荷物が持ち運び大変だから孫に花束を返し持って帰ってもらったが、皆さんからはちゃんと持っておけばよかったのにと言われてしまった。

 孫は「じいにそっくり」と言われ、ややさみしいが「かわいい!」とお世辞で無く言ってもらえ、これも感激。

発表会後の打ち上げの会食では先生と同じ席でイタリアンを頂き、帰宅。狭い会場ではあったが充実した発表会であった。

 2010年4月10日

アンサンブルフェスティバル2010  於、すみだトリフォニーホール大ホール ヤマハ大人の音樂レッスンに通っている生徒の色々な楽器の一同に会した演奏会、小生はチェロアンサンブルとして総勢80名のチェロを習っている色々な世代の人が集まり、事前に2回合同練習して本番に臨んだ。

16時10分受付開始、リハーサル、席は合同練習の時に決まっていて、小生はC―11で直ぐ左隣は若い男性、右隣は中年の女性、順序よく整列点呼受けいざ会場舞台へ、演奏する3曲すべてを終了まで合奏練習出来た。

 会場にはまだ観客はいないが、どういうわけか左手ポジション取りが上手くいかず途中中断、他の2曲はキーキー音を出してしまったが、何とかなった。

 礼の仕方(実際のコンサートではコンサートマスターが立つだけ、礼も指揮者だけだが)退場の仕方などを確認して楽器ケース置き場まで退出。

その後会場で他の楽器のリハーサルを聴く。 サックスアンサンブル、ポップスオーケストラとビッグバンド。流石にビッグバンドはトロンボーン、トランペット、アルト、テナーサックスが舞台一杯に勢揃いして迫力一杯のリハ。

ソロもテナーサックス、トランペット、トロンボーンが立ち上がり吹奏したが、これは先生方の演奏と直ぐ分かった。 本番は6時55分、改めて整列点呼を受けやや薄暗い舞台へ、楽譜とチェロと弓を持って入場、所定の位置に着席し、少し狭い印象だったので椅子をやや後に引いて体制を整える。

指揮の先生が入場し、起立、礼(指揮者だけ)着席。いよいよ本番。意外と落ち着いていて先生の指揮棒が良く見えた。 指揮棒に沿って略練習でやってきた感じで演奏、只少しやはり上がって硬くなっていたのか、「白鳥」のヴィブラートは左手の動きが随分とぎこちない。

「マイウエイ」「ロマンス」はなんとか終了。 これが3回目の発表会ではあるが、観客が1300名も入った大ホールでの演奏は初めてだが、緊張の少ないリラックスした演奏が出来たように思う。

ポップスとビッグバンドの本番演奏を会場で聴いたが聴き比べて、弦楽器の拙さが目立ち、弦楽器演奏の難しさを感じた。 ただ老若男女が心を一つにして演奏し、観客(ほとんどが家族か関連の人達と思われるが)が聴いてもらえ感激。

また2年後楽しみに練習に励もうという気にはさせてくれただけでもOK。ガンバ!家族の迷惑も顧みず!!

2010年11月6日

大森スポーツセンター小ホールでのチェロ教室発表会 9時40分到着、暫く他の生徒のリハーサルを最後尾の席で先生と二人で聴く。我々は4名で「アベマリア」「オーバー・ザ・レインボー」と生徒全員の合同演奏で「川の流れのように」を演奏。

リハでの独奏では昨年5年目で早くもバッハ無伴奏第1番プレリュードを奏した若者に注目、今年はバッハ無伴奏第3番プレリュードを1年間練習して発表会に臨む。

母親のチェロに息子のクラリネットの合奏、父親のチェロに娘のピアノ合奏など家族での合奏が素晴しく羨ましい!! 本番演奏は残念ながら良い演奏とはいかなかった。

まず頓いたのは調律、今回はピアノの伴奏付きなのでピッチは442ヘルツ、小生は高めの音が余り好きになれない、特に最も高い音のA弦のギーギー音がまだまだ美しくないので日頃は440ヘルツ程度の少し低目で練習していたので、今回演奏の途中でチューニングを先生に幕間でやっていただく不始末。

たとえ日頃下げていても本番で442ヘルツに戻す、あるいは今後いずれ442で演奏するのであれば耳慣れを期して、442で練習すること。

 「アベマリア」は最初のピアノ伴奏の拍数が良く把握出来ていなくて1拍3連音符の長さを聞き取れぬまま始まり、メロディーと確り縦線が揃わない、また音程もかなり不安定。

 1拍遅れの出だし部分でも自信無さげ、音量も不足。1パートを良く聴いて合わせようと努力すると小生は出遅れの印象、この状況が最後まで尾を引き、満足出来る演奏にはならなかった。

演奏会では音の弱さよりもクリアーさを確り出した方が良い演奏に聴こえる、そのためにも左手弓の小さくひ弱な動きではその通りの音しか出せない、大きくゆったりした弓の動き大切。

移弦の折に余分な不要な音を出さない注意など反省。 「オーバー・ザ・レインボー」 前奏のスピードは良く把握出来なんとか出だしはOK。スラーの移弦がスラーではなくなる箇別の音注意。

すんなり演奏でタップリ、ゆったりの演奏にならなかった。 「川の流れのように」 合同練習のリハを昼食に出たためサボってしまい、いきなり本番、しかも小生は1パート担当であるが、2、3パートの所に着席し隣を聴きながらの演奏とはならず、四面楚歌の状態、余程の練習がされていないとダメな印象、67歳の年も影響??!

 打ち上げは品川、5500円の飲み放題。 木曜4時クラスの5年目、8年目、若い人の5年目の人達と席を作る。先生も教え初めて5年目、若い人達の能力は素晴しい、バッハのプレリュード、ブラームスのソナタなどを演奏される。

くじ引きがあり「当たりの4番」、先生に何か質問をという突然のお話し、小生は6年目、若い人が5年目でこれでは老兵は去るのみか、と先生に伺ったところ、

先生からは小生の練習記録ノートのことを話題にされ、既に書き留めて5冊にもなったが、これは正に先生が最後に模範演奏された「夢のあと」ということで大受けに受けたが、正に夢のあとにならないよう正夢にしたいものである。

 あの無伴奏を弾いた若者が席に来たので、高音部の安定的な奏法を聞いたが、当たり前に出来ている人には質問にならなかったかも。

それにしても彼は多摩川河原の丸木橋の下でいつも練習をするそうで、楽器は借り物で太陽に当てても大丈夫とか、素晴らしく響きの良い所とのこと!!

これからも彼は頑張るでしょう。 楽しい打ち上げ、先生もこれが為に教室の発表会を主催するとのこと、かなりお酒が進んでいると思われたがお顔は確りお話し合いに夢中、結構でした。

来年はさらに良いホールをいうことで、飲み代をホール借用代金に廻せば高級ホールも借りられそう。

2011年8月27日 

川崎ミューザ市民交流室でのチェロ教室発表会 朝9時に集合、リハは二重扉で防音性充実、しっかり予備練習は出来た。

 本番「目覚めよと呼ぶ声あり」は何とか演奏出来たが「Ich liebe dich」では途中でどういう訳だか右手弓棒に震えがきたが、何とか2パートの16分音符で連携のミスがなかったとは言えないが、頭が真っ白で演奏不可ということにはならないで演奏終了。

本番演奏順序は生徒で一番達者な若者と先生の華やか「リベルタンゴ」合奏の後で、それでなくとも見劣りするロートル仲間の演奏で全く厳しい演奏であった。

 全体の印象では独奏の人が本当にこのレベルで人前での独奏をするのかと思われる方もいたが、個人で人前で上がらず演奏出来れば、最高だろうな。

チェロ冥利に尽きるな!!と思う。更にこの達者な若者の加勢を得てチェロ4重奏に挑戦したグループもあった、なかなか素晴しいこと。また来年に向かって練習に励みたい!

2012年9月8日 

太田文化の森 多目的室でのチェロ発表会 今回は10時30分から早速リハーサル。椅子が会場と同じ事務椅子というよりは宴会用の小綺麗な椅子、座高が少し高くピン長さを調整するのに一苦労。

何しろ会場入口には椅子が2脚のみ、全員が座って調整出来ないので予め概略合わせのみ。会場の中には全員舞台袖でも待機用椅子は用意してあるが、ここでは前のグループがリハーサル中、余りガリガリと弓弦を擦れない。

 ここでも更に微調整してリハーサルへ。弓の張りも良いものかと思いながら、確かに本番途中で演奏の合間に調整している人がいたが、突然ほとんど弓弦を合わせる暇もなく、演奏開始。

正にぶっつけ本番のリハーサル。 やはり出だしは揃わない。先生が余りに酷く揃わない時はストップをかける、また我々演奏の時は観客席の一番前の席でタクトを振るからということで、リハーサルはほとんど不本意の状態で終了。

 都合の良いことにそのまま1階の音楽室で11時から30分間の事前練習が可能。本来ならリハと順序が逆。

熊谷さんがお知り合いのヴァイオリンの先生のお話しでは演奏前にガリガリと弓と弦を出来るだけ大きく鳴らして弓と弦それと本体もこれから演奏に入るという準備態勢を取らせておくことが大切ということで、

他のグループもひと組一緒に練習するということだが、今回は遠慮なくガリガリ大音を立て、通しで4回程途中コーラス部分と3パートがいつも揃い難い第40小節付近を繰り返して、最後に1度本番のつもりで演奏して練習終了。

 また5階のホールで楽器を保管の上他の人のリハを聴く。 我々はプログラム16番目、13番目が終了したと同時に楽器を取り出し、廊下の控え場所に移動、この間に弓の張り、ピンの長さを外の廊下にある椅子で実施、前のグループ演奏が終わり、

入れ替わりで我々が舞台袖で待機、もう一度念の為弓張りピン長さを調整、直前のグループの演奏が聴こえて来る、中々素晴しい演奏と思ったら先生が第2パートを受け持ち生徒さんとの2重奏であった、良く聴こえるのは当然か!

 いよいよ我々の演奏、席に着くと意外に照明がリハの時と異なり譜面にスポットが当たり楽譜が透けてしまい良く見えない、確かにお隣の楽譜は紙質によるのか本当に見づらそう。

先生が急いで厚紙を用意してくれて演奏開始。今迄発表会では途中頭が真っ白になり、ダウンしてしまうのが通例だが、今回はメロディーで途中脇に逸れてしまうこともなく、ただ残念なのは亀井さんと二人でメロディー演奏の折、巻き上げがあり、良く揃わない部分があったが、先生が我々の直前に席に陣取り確り3拍子のタクトを振って頂けたので、何とか最後迄やり直しなく、演奏し通せた。

 我々のグループとして今迄の練習状態から推測すれば良かった演奏といわざるを得ない、只他のグループと比較してどうかと言うと良かったとは残念ながら言えない、 まだまだ練習しないと個人で演奏される人達特に若い人達は明らかに難しい曲に挑戦されているのが明確。

また女性のお年寄りグループ、若いグループも確かに困難な曲に立ち向かわれているのが聴いていても分かる。

 他の人の演奏を評価出来る身ではないが、最後3名の演奏はブラームス ソナタ イ短調を各々第1楽章から第3楽章を分担されて演奏、先生は特に大学卒業コンサートでこれを取り上げ演奏され、15年振りに演奏されたとか、伴奏の先生も大変難しい曲でナーバスになりましたと言われていた。

男性陣は少し音程にズレ、練習不足の印象があったが、先生は確かに今迄に見たこともない形相での熱の入った演奏、練習中のお手軽お手本とは違った厳しい演奏であった。 全員演奏が終わりケータリングを依頼しての缶ビール、ワインなどの宴会、各演奏グループでテーブルを囲み、先生も加われて話が弾む。

次はカラオケを借りて合同練習しようとか、今の教室の空き部屋を借りて追加練習しようとか、次回取り組む曲は出来るだけ早く決めよう、取り敢えずピアソラをやろうとか威勢が良い。

こんな形でお客様は呑みながらバックグラウンドミュージックの発表会も異色で良くないかなど取り留めもないお話しが弾んだ。

2012年11月11日 

サントリーホール ヨーヨー・マ演奏会 娘と二人で聴き感動。客席は略満席、我々の席はA席(16000円随分高額)だが1階最後列の一つ手前、2階席のせり出しの直ぐ下で音響的に良く聴こえるかと心配したが、ヨーヨー・マのチェロ、キャサリン・ストット(英国女性)のピアノ二つの音が十分に弱く小さい音から大きな強い音まで聴きとることが出来た。

 演奏スタイルは体形に見合った(身長180CM程度か)ピンの長さはかなり長くピンの床位置は椅子に対して随分と遠く、長いトーンの演奏では身を背中側にのけぞらしチェロの胴体が胸よりお腹の上に載っているような印象、足は流石に良くチェロの左右胴体を確り挟み込んでいる印象。

 CDの写真で彼のバロックチェロの演奏場面があったがピンがなく両足をくの字に曲げてチェロの胴体を載せて挟み込む保持の仕方と良く似た印象。色々な足の指示形態を見るが彼の形が本筋か。

 彼は大柄な体形のため十分右手弓がA弦をその先端でも捉え、しかもそのA弦に対する弓角度は確り直角が保持されており、たとえA弦に弓先端が位置している場合でもまだ肘肩に余裕が十分有り、高い音の曲の最後で段々弱くデクレッシェンドしていくにあたっても最後の弓先端を十分にコントロール出来る。

右手弓の形態は略全般に渡り手首を曲げた形で十分姿勢を保っている。手首だけが特に左右に柔らかく動く形は無く、肘、肩、肩甲骨全体が柔らかくしなうように、全く無理をしていない。

演奏テクニックとして気づいた所は

 ①弓を太鼓の撥のように特にC弦を叩くような演奏があった、左手は弦を押さえそれが音程変化のために弦上を移動してしかもそれが右手弓の叩きと合わさっていて、言わば太鼓弦側を左手で振れながら右手弓撥で叩く形での演奏。

②G弦D弦では弓を一方向に動かしながら弦を弓で小刻みに離して非常に速いパッセージを演奏

③非常に小さな弱い音と非常に大きな強い音が当然ながら我々のレベルではない、我々を1とするとその5倍以上も開きがあるような差を表現する、右手弓の弦押さえ圧力差と弓の使用位置が十分にコントロールされている。

④波打つような右手の上下動で分散和音を演奏する柔らかさ

⑤充分なハイポジションを音程が狂うことなく的確に弦を押さえる左手

⑥ヴィブラートの左手動きの素早さ、その動きは、今迄小生がそれ程多くは無いが聴いた演奏家の中で、どの演奏家よりも速いヴィブラートで、しかも一定にあるいは途中で終わるそのメリハリが良く、音一音一音に微妙なニュアンスが生まれていた。

 ヴィブラートと云えば単に音の振るえと思っていたが違った印象。 ラジオのクラシック音楽番組の解説で超絶技巧と称して16分音符にも細かなニュアンスのヴィブラートを入れて演奏するヴァイオリニストが演奏した音楽を紹介していたが、そこまで細かくヴィブラートを掛けているとは思わなかったが、それに勝る確かな豊かなヴィブラート演奏

⑦ヴィブラートを掛ける音掛けない音の仕分け、同じ高さに音の中でどの長さ位置でヴィブラートを掛けるか、音の頭部、中間、音の終わり(これは余り無さそう)音全体に渡ってなどの明快な使い分け

⑧弓と弦の関係で見れば、基本的に各弦に対する弓の角度はきっちりと直角を保持し右手弓を移動させる。弓元から弓先まで返りも同様、きっちりと安定して角度を保つ。

我々は弦を移動する度に角度が変わり最悪のケースでは他の弦に弓が触れてしまって結局雑音を生成してしまうミスを犯してしまう。 さすがにヨーヨー・マはあの困難な超絶技巧を要する曲集で今回の演奏会では雑音と思われる音は一度も発生せず、我々の耳には届かなかった。

⑨4弦の断面方向(弦の直角方向)での弓角度も一定しており、これがぶれて他の弦の音を出してしまうミスなどありようがない演奏テクニックは流石にこれまでチェロを習い始めて何人かのプロのチェリストの演奏を聴いたがそれらを上廻る技倆で音の感情が間違い無く抜きん出た印象。

曲目はほとんどが始めて耳にするような曲ばかりであったが、遅い速い強い弱いが色々と取り混ぜて良く聴かせてもらった。

ストラビンスキー、「イタリア組曲」、バレー音楽「プルチネッラ」器楽2重奏、ヴァイオリン/ピアノ版、チェロ/ピアノ版、洒脱な曲想、チェロの技巧を生かしたアレンジ、チェリストの愛奏曲、3つの小品ロボス・ピアソラ・グアルニエリ、ファリャ「7つのスペイ民謡」、フォークロアに基づくモーリス・マレシャルのチェロアレンジ、メシアン「世の終わりのための4重奏曲」より第5楽章、「イエズスの永遠なることへの頌歌」単独でチェリストの大切なレパートリー、ピアノは16分音符和音を淡々と奏し、

事実上チェロの独奏による果てしないモノローグ、ブラームス「ヴァイオリンソナタ第3番ニ単調op108チェロ編曲版、ピアノはオリジナルと同一、チェロはオクターブ下の音、ほとんど微妙な修正のみで変わらない。

 演奏途中驚いたことが発生、楽曲途中で、素早く弓を弾いて途中音楽を止めたところ、その弓の強さ(弾く強さ)が弦に伝わり、更にチェロ胴体下のエンドピンが胴と床固定位置の間で共振していた、

娘もこれに気がついたようで、今迄何回かチェロ演奏会に出かけたが、弓を弦に当てその弾く力でエンドピンが共振しているのは見たことがない。

 弓が弦を擦ることで弦が振るえ、ペグ(糸巻き)とテール・ピースの間で振動を繰り返す、これが弦楽器の音の発声のメカニズムではあるが、この共振は確認出来るがエンドピンの振るえ迄は知らなかった、新たな発見。

アンコールはクライスラー「愛の挨拶」後半部ピアノとの掛け合いで旋律が響く曲というよりピアノの伴奏で終了。

ピアソラのタンゴ風、ヨーヨー・マの十八番。 最後にサンサーンス「白鳥」小さく弱く奏する所と大きく強く奏する所の重量差は素晴しい、ピアノが最後に分散和音を奏するがチェロは長いトーンを段々小さくして最後に全く小さな音でそのオクターブ下の音をピチカートで最も小さく演奏、中々素晴しい白鳥!

およそこの曲はチェロコンサートのアンコールで良く演奏されるが、今迄聴いた中でも最高の白鳥か!!!

 2013年8月31日 

大西先生の生徒の発表会  品川文化センター 東急大井町線荏原中延駅が最寄り駅。9時からリハーサルを開始、我々は10時40分から45分まで5分間の舞台でのリハーサル。沢山の空き時間は他の人のリハを聴かせてもらった。

我々常に練習を一緒にしている男性2名女性4名のグループの本番のフォーレ「シチリアーノ」残念ながら小生の主メロディーは何とかなったが(前半の1/3)、変調してからの部分はもう一つの本来はピアノであるが今回はチェロが受け持つ旋律を担当する3パートとしっくりいかない印象。

出来るだけ大きな音を出そうとすると余分に弦を引っ掛けてしまい、散々、最後の部分の小生担当のアルペジオでもロクに出来ない無残な演奏。

 他の合奏メンバー全員がこんな印象で、演奏会後に催す打ち上げの会は反省会ということであった。 演奏会参加の方の演奏で注目したものを上げる。

若い男性(以前の発表会ではバッハの無伴奏組曲第1番 プレリュードを見事に弾きこなした生徒の中で第1人者と思われる人)が「G線上のアリア」を独奏されたが、

夜勤が3日連続し、練習不足で申し訳ないと打ち上げの席で述べられていたが、ポピューラーな曲でも練習不足のまま舞台に上がれば残念ながら高音部で音程がずれ、リズムも取れない、ヴィブラートも適切に入らない、まさにアマチュアの弾き初めのような演奏になってしまった。

やはり日頃継続して練習していないといけないのだとつくづく感じた。 先生は「練習時間は確り成果に現れます」と言っておられたが正にその通り。

余談だがTVでマリア・カラスが取り上げられ、彼女も「修練と勇気、あとはゴミ」との発言があったとか、一流のプロといえども常に練習を怠らなかったとのこと、ましてや我々素人は当然のことであろう!!

そのほかにアンサンブルで素晴しいと思ったのはクンマー「2本のチェロの為のソナタ Op22より第1、3楽章」 舞台で上がる様子もなく、自信を持って軽やかに、素早い曲を楽しげに演奏された。

 また大西先生の産休の臨時講師を務められた先生を含め3名で演奏された「G線上のアリア」先生が3パートを受け持たれ低音の8分音符にもひとつずつヴィブラートを効かせた演奏で下パートを支えられると、中間部・主メロディーとも良く聴こえるものだと思った。

先の独奏でのG線上のアリアよりも素晴しい演奏であった。確かに独奏の自由に速さ大きさを設定し、誰にも邪魔をされることのない、一人の世界に入れる演奏。

 各パートに分かれ合奏することで音楽を全員で創る楽しさはどちらも楽しみであり、素晴しいものではあるが、小生はなにしろ頭が真っ白になり途切れても他のメンバーが演奏していて音は鳴り響いている合奏の方が無難と思われる、いつかは演奏会で独奏をと願望はするが?!

打ち上げは東急池上線旗の台 昭和医科大学17階タワーレストラン。 見晴らしが素晴らしく横浜のランドマークタワー、東京のスカイツリーが確りと見渡せる。

 反省会のおしゃべりの中で3パートの方がアルペジオをピッチカートで弾きアルコで旋律を弓で弾こうとしたら、弓を張ることを忘れていたことに気が付き、慌ててまた次のアルペジオで弓を張ったが、これがまた不十分だったとのこと、結局中盤以降のピアノ旋律をチェロで演奏する聴かせ所が弾けなかったとのこと。

 誠に残念!!小生も細かいところでほとんど練習成果を発揮出来ないと反省の弁をのべたところ、大切な3パートの方もこの有様では全体の演奏は推して知るべし、無残な出来。

 5パートを担当された女性からは小生の音は綺麗な音でメロディーを弾いてもらって、その女性は今回の合奏では迷惑を掛けてばかりだとの小生のお褒めの言葉と反省の弁。

小生の音は何もそれ程美しくもなく、まだまだ修練が足りない、女性陣はお一人を除いて皆さん現役だから練習時間が不足しているだけ、特に気を付けることとしては左手で確り弦押さえと、右手でしっかり弓と弦の直角を守ることは心掛けているとお返しした。

 3パート担当の男性は弓と弦の直角保持のための治具を作成し、楽器に当てて弓を弾く練習をしたが残念ながら幅が不足して、弓がしっかり左右に動き辛かったとのこと、直角をしっかり守るという思いは同じで心強く感じた。

また練習時間について発表会前は午前2時間、午後2時間の計4時間練習とのこと、小生も確かに発表会前の時間は同じぐらいであった。

小生はまた練習開始前に音階練習を30分程掛けてやっていると述べたところ、女性陣からはそんなに音階練習に時間は掛けられない、疲れてしまうという意見だった。

これらの反省点を踏まえ、また頑張って練習しいつか再挑戦しようということになった。

最後に大西先生を補助されたピアノの先生からのお話し、チェロを通じて父娘・母娘あるいは他の人との交わりが楽しめることは素晴しいこと、是非とも継続して欲しいとのこと、

またヴァイオリンの先生はヴァイオリンを習っている生徒さんはチェロとの合奏を望まれている、是非ともチェロだけの合奏ではなく、ヴァイオリンとチェロの合奏の発表会を催すように大西先生にもお願いするとのこと。

また明日からギーギー雑音を立ててやるしかない、取り敢えずの目標は75歳までの5年間?あるいはラグビーワールドカップの開催される2019年まで残り6年間?取り組む曲はやはりなんといってもバッハ 「無伴奏組曲第1番~第4番」第5番、第6番はやや特殊な弦調整を必要とするので、今度の先生は「そこまでやれれば充分でしょう、頑張りましょう」と教室でも取り上げてもらえるとのこと。

 今までに何回か楽譜に一部本曲が現れたが、我々の技倆が未だ其処まで到達していないと思われ、取り組まないできたが、今回の先生は前向きである。 家族には好きなことだけやって迷惑が掛かるが、大西先生の言葉「練習は確りそのまま成果に表れる」とあの高名なマリア・カラスの言葉「修練と勇気、あとはゴミ」を信じて頑張ろう!!

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第4部 発表会向け「シチリアーノ」練習記録

2013年3月7日

演奏会の曲目選定、 「シチリーノ」とビバルディーの「アレグロ」が候補で「シチリアーノ」に決定。「アレグロ」は速すぎて手に負えないため。 ルネッサンスからバロック期のイタリア シチリア島の舞曲といわれている8分の6拍子付点音符のリズムが特徴的な短調の音楽。20世紀フォーレによりチェロとピアノのために作曲。 3月14日 チェロアルバムの「シチリアーノ」 指使い練習、

4月4日
先生が6パートの分かれた楽譜作成、パート分け決定、伴奏のアルペジオは弓持ち替え困難で短いアルコで奏法決定、その分メロディー担当は大きな音で演奏。

4月11日 
付点のリズム確り取る、出だし確り自信を持って出る。アルペジオ部の左手スムーズに、押さえの手の形を身体で憶えること、音程ハズレ注意。

4月18日 
全半部おさらい終了、次回最終まで終了予定。メールにて先生の演奏受領

5月2日 
右から1~6パートに配置替え、スピード8分音符=114は少し速過ぎ、目標とし、100でゆっくり目に。アルペジオは急ぎ過ぎず、メトロノームと合わせる。

 5月16日 
全体を通して演奏、途中縦筋が合わないが何とか最後まで終了。転調部1、2パートは3パートのメロディーを生かすため弱めに。

5月30日
転調部3パートと1、2パート対等に確り歌い響き合うこと、付点のリズムで3拍目8分音符は音符長さ通りに確りたっぷりと、5、6パートは通奏低音の如く、長い音の音程重要。

8分音符=100は演奏が少し重くなる、114目標を是非軽やかにやりたい。 6月13日 全体通し練習何とか最後迄行ったが、お互いに弓の動き等全く見ないで流してしまうのは良くない、弓の動き、呼吸など確り掴んで出だしを合わせること。

アルペジオ部はもっと小さい音で奏し、メロディーを生かすため弓は指板の上近くで弾く。

6月20日
メロディーと分散和音のバランスが悪く、アルペジオはピチカートに方針変更。

 6月27日
大西先生最後のレッスン、ピチカートでメロディーは良く聴こえる、高音部のピチカートもっと強く。77小節以降最後の聴かせ所、アルペジオのリズム取り確り。

7月4日
山口新任先生の初めてのレッスン、全体通し練習、メロディー最初のレ音確り出る、分散和音の最初は小さく徐々に大きく最後の音強調。 舞踊曲であり3拍をひとまとめの2拍子の雰囲気で音作り、付点の最後の音は余り強くはしないで長さは確り保ち、2拍を意識して次の3拍の頭を確り強めに。

FからPへの移行滑らかに。 4、5、6パート和音の響きを聴かせるためビブラートなしの平らかな弾き方。

7月11日 転調部の重点練習、ロングトーンはビビらず、弱くなり過ぎず、弓が踊らず、単調さを継続するようにフラットに弾く、3パートはピアノ演奏部分を担当、しっかりリズムを刻み余り大げさには歌わない、最初のロングトーンを持続させるような響きで。

1、2パートと合奏する時、移弦時のバタバタ感が表れる、移弦は重音を弾くイメージで無関係な弦側をほんの少し持ち上げて弾く(移弦のスラー表現)出来るだけ滑らかに。

1、2パート一人ずつ分担は方針変更、但し出来るだけ小さい音で、弓の手元は使用しないで弓先から中間の所で弾く。最後の所最も重要、1、2パート分散和音ピチカートリズムを崩さない。

 親指は指板に添え人差し指1本で弾き分け最後の音のみ強くするため親指離れても構わない。 1、2パートで音頭取りの足踏みバラバラ、基本的に足踏みリズム取り止め。本番で上がることのないよう、練習で確り経験。 4部音符=100は少しゆっくり、104で練習、114目標。

7月18日 
メロディーを確り把握するため、全員で中間部を含めてメロディー演奏

7月25日 
教室借用し、各自のチェロを持ち込み自主的補講実施。   

8月1日
  
13時30分集合、教室借用しての自主的補講実施。

8月22日 1
3時30分集合、教室借用しての自主的補講実施。

8月29日 
13時30分集合、教室借用しての自主的補講実施。

9月1日  
チェロ教室発表会 本番 「シチリアーノ」練習途中での指摘事項 スピード8分音符=100~104でゆっくり目に練習、8分音符=100では演奏が少し重くなる、114を目標に是非軽やかにやりたい。  

メロディー最初の出だしのレ音確り出る、舞踊曲であり3拍をひとまとめの2拍子の雰囲気で音作り、付点のリズム確り取る、付点の最後の音は余り強くはしないで長さは確り保ち、次の3拍の頭を確り強めに。

FからPへの移行滑らかに。 4、5、6パート和音の響きを聴かせるためビブラートなしの平らかに、聴かせ所は確り出る。  アルペジオはピチカートで、急ぎ過ぎず、左手スムーズに、押さえの手の形を身体で憶え、音程ハズレ注意。 最初は小さく徐々に大きく高音部のピチカートもっとも強く。

77小節以降最後の聴かせ所重要、1、2パート分散和音のリズムを崩さない。 親指は指板に添え人差し指1本で弾き分け、最後の音のみ強くするため親指は離れても構わない。

転調部 3パートはピアノ演奏部分を担当、しっかりリズムを刻み余り大げさには歌わない、最初のロングトーンを持続させるような響きで。 1、2パートと合奏する時、移弦時のバタバタ感が表れる、移弦は重音を弾くイメージで、無関係な弦側をほんの少し持ち上げて弾く移弦時のスラー表現。

1、2パートは出来るだけ小さい音で、弓の手元は使用しないで弓先から中間の所で弾く。

3パートと1、2パート対等に確り歌い響き合うこと、付点のリズムで3拍目8分音符は音符長さ通りに確りたっぷりと、5、6パートは通奏低音の如く、長い音の音程重要、ロングトーンはビビらず弱くなり過ぎず弓が踊らず単調さを継続する。

お互いに他の人の弓の動き等全く見ないで流してしまうのは良くない、弓の動き、呼吸など確り掴んで出だしを合わせる。

 1、2パートの足踏みバラバラ、基本的に足踏みリズムは止め。 「シチリアーノ」(発表会プログラムに掲載の解説最終版) ルネッサンスからバロック期のシチリアの舞曲といわれ、8分の6拍子付点のリズムが特徴的。

スピード8分音符=114を目標に軽やかに。 3拍をひとまとめの2拍子の雰囲気で。 アルペジオは急ぎ過ぎず、徐々に大きく。転調部はしっかりリズムを刻み大げさには歌わない、弓の手元使わない。

 3パートと1、2パートは対等に響き合い、ロングトーンは弱くなり過ぎずフラットに。

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第5部 大人の音樂教室で教えて頂いた日のノートから小生の誕生日近辺の抜粋

2004年5月20日 
14:00~14:30 大人の音楽教室 無料チェロ体験レッスン初めて参加、横浜駅西口有隣堂ミュージックサロンサンサーンス「白鳥」を先生の演奏で聴く。

 「演奏出来るように目標としたら」との奈良先生の言葉。 使用楽器はヤマハのサイレントチェロSVC―100(198000円)SVC- 100Sセット(248000円)アコースティックチェロとはネック・指板・糸巻・絃は同じ、共鳴ボディーはなし。

 音は1/100のエネルギー、アンプ・スピーカーで音量確保。 レンタルは新品260400円、中古で123900円 3ヶ月~20ヶ月支払い 体験教室で習ったこと チェロ楽器を持つ姿勢 ・椅子は座の半分程度に腰掛ける ・背筋は出来るだけ真っ直ぐにウエイトは足に掛ける ・

少し前傾、腰骨にウエイトが掛かるようにし、さらに足に掛ける ・上部糸巻が首上部頭との凹みあたりに触れる印象、強く当ててはならない ・ネックは首には触れないように ・共鳴ボディー上部裏側がミゾオチ近辺にエッジが(ウラ面ではなく)当たるように ・両足は一度前に出し、ほぼ直角から少し引き気味に上げ。

関節凹み部分に載せるように押付け ・楽器本体はエンドピンを強く床に押し付け、床との角度が60度程度に保持する、どちらかといえばかなり寝かした印象で保持する。

身体の両足・胸の3点とエンドピンで支持する。

絃  一番 最も低い音 太い4番絃   ド  二番 低い音   中間3番絃   ソ  三番 やや高い音 やや細い2番絃 レ  四番 高い音   細い1番絃   ラ   オーケストラで調整する音程 5度の間隔 ピチカート  右手人差し指で絃を上向きに弾き上げる。

親指はネックの側面に添える ドードードードー    4拍 ドド ドド ドド ドド 2拍  左手で絃を押さえ音を止める。

 ドードーレーラー、ドードーレーラー 左手止めで繰り返し フロッピーディスクの音楽に合わせピチカートの伴奏演奏 弓の持ち方 ・左手で弓中央を支えて持ち、右手で引き上げる印象で持つ ・一度握ってしまい、

さらにその形で引き上げるように持ち上げる ・右手を弧の形に作る、その時親指、中指、薬指は丸める、各指の関節が角ばる形を取る ・親指は角を出した状態で当てる ・人差し指はやはり折り曲げた形で弓棒のシルバーマークあたりに当てる ・中指、薬指はほぼ真っ直ぐ伸ばし関節を曲げないで大きな面積部分に添える ・

小指は自然に添える形 ・手首は決して逆反りにならず、弓を絃に落とし、力を全て弓にかけるように、手で力を入れて擦ることはしない。

即ち手首が逆くの字にはならない ・弓の弦(つる)は目で見える程度に斜めに保持する ・絃に体重が掛かるように腕、手首を介して絃に乗り掛かる、全体重がここに掛かる印象 ・肩は定規と鉛筆で線を描くように肩を中心に左右に動く形、胴体を保持した姿勢を保ちその状態で左右に弓を移動させる 絃を弓で奏する ・

ソーーーー ソーーーー 4拍で弓の元から弓の先までかなり早めのスピードで弓を絃に手前に押し弾く ・2拍で弓の元から弓に先まで前回の2倍のスピードで  ソーー ソーー ソーー ソーー ・ソーー ソーー 弓の半分までを使用して2拍 弓の元~弓の先へ、

また弓の先から弓の元へ 繰り返す ⊓ Down ⋁ Up  楽譜上の弓の移動記号 ダウンは弓を手前に引き。アップは弓を前へ押し出す、混乱しないように注意方

2004年6月10日(木曜日)
14:00~15:00 生徒4名で開始 入会金 5250円 教材費 1470円x2冊 月謝 9260円 メイン教材 Cello PMS Yamaha Pop Music School 1 A リズムの取り方の練習  B 左手の指使いの練習  C 両方を合わせた基礎の練習   P6 Lesson1~6(P36)までページ進行にとらわれずに進める 右手の動き練習 1ヶ月 左手の動き練習 1ヶ月  開放弦 音を上げるため左手は下に下げるー音の上がりと逆のイメージで若干の戸惑いあるが、親指はネックの裏側で強くは押さえないこと 番号1―人差し指 番号2―中指 番号3―薬指 番号4―小指(楽譜上での左手指表示)     

両方合わせた練習 3ヶ月 エレクトリックチェロのSW類  本体側 ボリューム 12時の位置程度 あまり大きくしない      1段目 エコーを効かせるSW      2段目 ノーマルな音      3段目 メインSW  スピーカー側 メインSW オン オフのみ 弓 始める前にまず弓を張る   中央部で1、5センチメートルくらいの巾、小生は人差し指縦幅がほぼ1,5センチ   余り強く張りすぎるとBAWが折れるから注意 楽器の構え方 エンドピンを楽器から引き出し、その長さは後ほど自らに合った長さに決める 椅子の半分より前に掛ける。

足幅は肩幅程度  足首かかとはすね側に少し入る位置首の付け根に糸巻 両ヒザで支える程度 胸に楽器本体を当てる。 右手のBAWの握り 出来るだけ自然な形で  右親指は角の位置 くの字に曲げる  

中指、薬指は面に当てる印象 伸ばしたまま  人差指はシルバーの位置でやはりくの字に曲げる  芋掘りをしてそれをそのまま自然に引き上げた形 右手の動き  肩肘の動き 肩は固定、肩の関節、肘、手首で弓長さの動きをつくる。弦を弾く位置は駒と指 板の間で固定する  

弓の先を左手先端で持ち、右手で弓に沿ってずらす、それが即ち右手の移動範囲を示す  この動きを各1~4番弦で試みる  余り弾くことに意識をし過ぎると肩、上体が一緒に移動してしまう。

肩位置は動かさず、肩関節、肘関節を動かすこと  右腕の高さ位置は移動幅より思った以上に大きい、ほとんど腕の動く範囲で移動させることになる  1弦から4弦までの弓の動き角度は以外に大きい  

駒の上側形状が即ち弓うぇお弾く場合の移動角度を示す、たとえ1番 4番になっても弦に対する弓が直角程度 その位置関係を保って次の弦に移し変えていく しっかり最後を止めて弾く  しっかり切り取ることが今は大切

将来的には逆に滑らかな継なぎも当然必要になるがこれを上手く演奏するためには、まずはしっかり音を切ることが大切 しっかりとBAWを強く押し出すこと大切 余り極端に弾き出すことにはならない

あとは流れに乗る印象でよい  肩には力が入らぬように 脱力は常に心掛ける。

2004年7月15日 
見学の方は始めなかった 従って生徒は5人  右手の体操  弦の位置と右手の弓の角度   1番弦は肘を余程高くあげないと角度が保てない   2番弦も同様、肘をかなり高く持ち上げ必要、  

3番弦、4番弦は逆に脇を固めるように閉める印象 なにしろ隣の弦を弾いてしまおうが、音が汚かろうが身体で右手弓の動き覚え込ませること大切肘だけ(肩を止めて)上げ下げした時、手首、2の腕には力がはいっていない、身体の重量を各腕に余分な力を入れず保ちながらその重力を弦に持っていく 1番弦を弾く時、足元が十分引かれた正しい姿勢でないと、弓の先が膝より出てしまい、弦に対して、直角にならない。

弦に直角になるよう、右手の肘、手首、脇のお互いの位置関係を正に身体に覚え込ませてしまうこと。 演奏する前に最初に各弓の先を1番弦から4番弦まで置いて、右手で弓をなぞり弓の角度、肘、脇、手首の動きを、身体を動かして憶える。

チェリストの演奏はいかにも身体全体を使って演奏に乗っている。それを身体で表現している態度に見えるが、これが即ち身体の動きで演奏するチェロの演奏特徴そのものである。 しっかり保持することで右手がしっかり自由に動こせることが大切。

教則本 P19 ② 開放弦 1番弦 2番弦 3番弦 4番弦 3番弦 2番弦 4拍を4界繰り返し 1,2,3,4としっかり拍子を取る、

足を使用すると楽器がしっかり保持出来なくなり、それが気に掛かるので、口は使っていないので、1、2、3、4を口でとなえることにする 教則本 P14②➂ 全音符と2分音符の組み合わせ 全音符4拍で全弓幅使用、 2分音符2拍で全弓幅使用、

従って 4拍の場合の2倍の弓スピード P14④➄➅ 4分音符 弓は半分を使用 ダウンアップの繰り返し、ダウンアップで弦位置を変える     

P14➆ 2分音符と4分音符、2分休符の組み合わせ 最後の休みで元へ弓を戻し、繰り返しの準備をしておく 弓のスピード切り替えしっかりと音楽は自分のリズムだけでは成り立たない、

他の音との合わせガ大切、その時リズム拍子を良く耳で聴き 拍子の終わりをしっかりと止め、次の動きに繋げる。ズムを聴き、自ら合わせることは非常に大切。基本である。

2005年7月14日 
小生の目出度くもない誕生日 音階練習 C dur 「ザSCALE 集」 音階の一覧表を頂く、これによると最後のD音はなく、C音を繰り返して後、下降音階に移る。

音階練習 D dur  その次のG durと指示聞き間違いを起し、ほとんど混乱状態、拡張の人差し指を良く伸ばすこと、その他の234指は自然な状態で可能、左肘の動きを加えることで拡張の指形態がスムーズに広げられる。

 第2ポジションの練習 教則本P15 Exercise 12、13 第2ポジションへの移動練習 教則本 Exercise 4 途中第2ポジションへ移動し、次に第1ポジションに戻す練習 教則本P27 Exercise 8 第2ポジションへの移動と第1ポジションに戻る練習、合わせて強弱を付ける練習、fがしっかりしない、A弦での圧力、弓長さのバランスが悪い、

返りのpのダウンボーがガリガリという強さも不足、但し先生の強弱も先週始めて聴いた時よりはハッキリメリハリがついていない印象で受け取った。 やはり弓は直角ではなく、斜めに弦に当たっている、

先生はヴァイブレーションを使用されるためpの音が美しい、弦の当たりが柔らかいためか。 シンコペーションの練習 教則本P27 Exercise 5 練習不足が祟り上手に出来ず。 8分音符の位置で素早くダウンボーで弾き、返しのアップボーで4分音符の充分な長さを取る、

4分音符に充分な長さを確保することで音が強く表現することが可能となる、即ちこれがシンコペーションである。

 チェロはこういった強さ弱さを右手の弓の動きで合理的に表現出来る、感覚的に身体の動きがマッチングしている印象である。 レパートリー P16 「エーヅルワイス」 出だし最初の♯ファ 第2ポジション 1指人差し指 音程の安定必須の音、次のミ音も音程注意、第1ポジションに戻ったシド音注意、拡張指のシ音、同じくミの音音程注意。次回低音部も含めて合奏。

2006年7月19日
7月14日から18日まで山梨小屋は雨にたたられ、御蔭様でたっぷりチェロ練習出来た。

音階練習 Cmajor3オクターブ、高音部音程不安定、開放弦は全員音が同じなので、ボリュームが非常に大きく聴こえるが指押さが必要な音は音程の高低差異が大きく、音程が安定しないため、こもり音が発生し、良く聴こえない。

高音部は音がか細く、4拍の長さも振れが生じている。 Dmajor3オクターブ、C弦、G弦での拡張指押さえ時と親指位置とD弦A弦のノーマルな1ポジションでの親指位置の差を意識し、押さえること。

ほんの少しの左手親指移動距離ではあるが、早めに1~4指より移動させたい。 Gmajor3オクターブ、やはり高音部4ポジションでの音程不安定。

教則本P2 練習曲B2 弓の位置の使い分け 弓先Sp(Spitze)、弓中M(Mitte)、弓元Fr(Frosch)を使い分ける。

全般に渡っては同じ音量の音を出すこと。 従って弓先では右手人差し指で弓側に圧力を掛ける。練習曲4小節目で弓中に戻す時、弓が弦から離れるが、この後の着弦の折、弓が弦上でバウンドしたり、また変なガリガリ音を立てぬよう注意。

弓長さの1/3を目安に十分な長さを使い分ける。 休止符で休みの折、次の音のたけの、ガリガリ音を出さない。

基本的に休みの時、弓は弦から離さない。第1小節に戻って繰り返しも弓中、弓元へ返す時も同じくガリガリ音、弓のバウンドがないこと。

弓位置の記号はオーケストラ楽譜、練習曲楽譜等に珠に見られるが、それ程頻繁には出てくる指示記号ではなさそう!先生もG.B.(Ganzer Bogen)全弓の意味が始めてわかったとのこと!

教則本P5 Exercise1 スタッカート 小生は右手弓の持ち方が少し右側にズレ過ぎ、もう少し左手側に弓に近づけるように手の甲部の傾斜に注意。また右手人差し指の弓への掛かり、曲げ方不足、もう少し人差し指第1関節をくの字に曲げ、弓の銀巻き部分(ラッピング、巻き線)へしっかり掛ける。

また弓が第4弦A弦に対して直角になっていない。 もう少し右手肘が下がり、弓の先が上に上がる形、左足大腿部に対して、弓先が移動する位置が下がってしまっている。 左足膝位置より弓先が上でやっとA弦に対して弓がほぼ直角になる。

いずれの指摘事項も恐らく習い初めの頃、習ったことばかり。 さらに最大の注意が必要なのは“脱力”手の甲、手の肘、肩の付け根、右指先から肩まで全段に渡って力が入り過ぎ。

最近の先生の小生への指摘はまず力を抜いてとの注意、自らも肩に力が入り過ぎて肩の痛み、手の甲のち狩れ、指先の痛み、それと右手親指の弓箱部(弓の付け根部分、毛箱)の引っ掛かり部に凹みが出来てしまい、しばらく元に戻らないような状態はなんとか修正しなければならない。

 只力を抜くと弓の握りが安定せず、中々解決困難。弓も保持と脱力は相反する作業で、正にこれからの課題。練習曲はスタッカートだからといってスピードを早めて弾かない注意あり。

 特に2拍目が早くなり勝手であるとの指摘。 3~4回かなり早いスピードからゆっくりのテンポまで練習。繰り返しのやり方が良く分からないが先生からは弓お置いて横に弾くことを強く指摘された。

 弓を上にそれ程上げるようには言われなかったが横に弾いてその勢いで直ぐに上に上げて弓と弦を離す形(弾くは横へ、離すは上へ)がどちらかといえば横に弾くことを意識して実施する。

 Rpertory2 P2 ハイドン 交響曲第94番ト長調「驚愕」より第2楽章 弓の運びは順序通りでOK、従ってテヌートではアップボーのケースが起こりうる。テヌートだからダウンボーとはあ切らない。

 8分の4拍子的な拍数から音の長さ、休止符の長さを注意。 弓使いはやはり、ダウン、アップボーは順序通り、休みで弓位置を動かすような無駄な動きはしない。 伴奏の下音G音C音各々音程注意。

曲途中の最後の音(D部4小節目)アクセントマーク、最初の弾き初めから最大に強くフォルティシモで強く弾く。

2007年7月12日

音階練習 Cmajor3オクターブ 高音部素晴しい音程(先生はちょっと褒め過ぎ)但し低音部はダメ、第1ポジション1の左手人差し指の位置が正確さを欠きやり直し。

2オクターブのみ実施したが確かにCmajor第1ポジションの音程がまだ定まらないとはどういうことであろうか!

 奥様が小生のチェロ練習に出かける直ぐ前に2階に上がって来て

「少しは進んでいるか?」

「1万円も授業料払って!」

 と問われたが、

 「当初よりは音階が弾けるようになったから少しは進んでいるのでは」

 と答えたが、現実には最も基本のCmajorハ長調のしかも低音部音階を改めて弾く指示をもらってしまうとは全く本m等に進歩しているのであろうか?!

 Amajor音階、これも朝の自宅練習ではしっかり練習してきたつもりであったが、最初のG弦拡張、D弦拡張はOKであったが、A弦でのド♯が不明になってしまって上手く進まない。

先生から自分の好きな位置で弾いてもOKという皮肉をもらいながら、実際には第1ポジション シド♯レ 134指の後、第4ポジション ミそれの拡張でファ♯ソ♯ 34指、ラのフラジオ3指の基本ポジションと指使いの関連を改めて練習。

中々残念ながら頭に入らない自分にもどかしさを憶えるようになってきているが、何とか廻りの雑音、皮肉、非難を乗り越え頑張ろう!

教則本P10 Scale 1  スラーでの旋律的半音階の練習、特に問題無し。 Scale2 Sp=Spitze 弓先で弾く練習、取り敢えずラの音だけ弓を動かし弾くのを先生が各生徒を回って個別にチェックされる。

小生は手首が弓に対して直角より開き過ぎ、もう少し弓に対して手首全体が直角気味に保持すること、弓と弦との角度が90度に当てることを指摘された。 これは自分ではOKと思っているところよりももう少し弓先が上に上がり気味で90度より小さ目に自らが感じる。

 次の指摘は肩の力を抜くこと、残念ながらこれも基本のところの指摘、段々注意が厳しくなるがしっかり受け入れて我流にならぬ注意必要!!

 その他にラ音からミ音までの上昇音ではクレッシェンドしていくのが自然であり、その通りの自然なクレッシェンドを表現する、そのためには最初のSpの短い弓使いから最後のミ音のあたりは弓の半分程度まで弓を使ってクレッシェンドを強調、弓の移動量でも表現出来る。

弓の返しの時、弓の移動量は行きに対して基本的に同じ移動量で返す。小節の頭の音に強拍を置いて3拍子を自然に感じさせる。

Scale 3  16分音符を4分音符=82のスピードでM=Mitte 弓中で演奏 これはほとんど手首のスナップだけで演奏するのかと思っていたが、先生は特にそのようなスナップを効かせた演奏というよりは肘と手首(肩を起点にして)要するに右手弓は腕全体の小さい動きで演奏する。

これもテクニックというよりも基本の弓の移動量の如く短めの腕に振りによる演奏と心得たい、但し音符の数が増える程に脱力は更にしないと速いパッセージに弾きこなせない。 との先生の指摘。

脱力は確かに自ら速いパッセージを引きながら肘、肩の動きと脱力を試みたところ、先生は”そう!””OK!”と言ってもらえた。

余程明確に力が入っていることが、右左腕共に明らかに外見的に確認出来る程力が入り過ぎているのだろう。

脱力!脱力!ここでもう一度確かに初歩の弓扱いを習った頃、確り脱力するよう教えて頂いたがまだまだ脱力不足!残念!改めて脱力に注意して取り組もう。

Rpertory2 P16 サンサーンス 動物の謝肉祭より「水族館」  各小節左手指押さえポジションがいくつか順番に答える。

 第1パート 第1小節 3ポジション♯、第5小節 2ポジション♯、第6小節 第1ポジション、第21小節 D弦3ポジション♯、C部第25小節 第4ポジション、第29小節 フラジオのミ音を一指で8拍、第35小節同じくフラジオのミ音 弓はダウンアップボー返しで、第37小節 3ポジション、第38小節 フラジオのラ音 3指で、第39小節 A弦レ音の位置で1指でフラジオ。

Con Sordino=弱音器を装着して演奏  Senza Sordino=弱音器を外して演奏  pp Con Sordino=指板に近い所で弓と弦を合わせソフトに演奏 。 Sf スフォルザンド=その音だけ強く演奏 第12小節 下のミ音からオクターブ上のミ音にスラーで継なぐ演奏、素早くD弦下のミ音左手1指をA弦に移動させ、A弦上を滑らせて高いミ音 2の指のポジションまで運び、右手弓はそれに合わせて滑らかに継ぐ。

これは本当に難しい  第2パート 第1小節 D弦4ポジション、第2小節 D弦4ポジションから1ポジション、第4小節 3ポジション♯、第5小節 2ポジション、第6小節 2ポジション、第25小節2ポジションから3ポジション、第26小節 4ポジション、第31小節 pizz=ピチカート 4ポジションのまま、弦はD➔D➔G➔Aに移動、さして困難ではない、

第35小節 休止符の拍数を確りカウント、間違えて早くでない、遅くならない、第37小節 2ポジション♯。 2008年7月10日 音階練習 Cdur、Ddur、Bdur A弦の指使い我流で修正、シド音拡張ハーフポジション左手1、2指、レミファ音3ポジション♯で1、2、4指、ソラシ音1、2、3指で1~2指間間隔広め、2~3指間は1~2指間の半分。

 教則本 P21 Warming Up C① 開放弦と4指全部押さえの練習、A弦ではD弦の形のまま肩から腕を後側水平方向に廻すことで、又小指4指を出来るだけ第1関節をフラットにして弦をベタっと押さえることで指だけの移動を避けスピードを向上させる、

但しG弦はD弦に1、2、3指を残し押さえたままで小指4指のみG弦を押さえ、スピードを確保する。

 教則本 P23 Exercise 2 出来るだけ各音符の長さを保つ。後半部1ポジション位置上がり気味にならない、特に最後から2小節目はスタッカートの如く切らないで4分音符長さを十分取る。第3小節目の付点のリズムは軽やかに。

 2組に分かれて半分ずつパート練習、交替して演奏。また一人ずつ交替演奏。 Rpertory2 P22 モーツアルト ピアノソナタ 11番イ長調出来るだけ美しく、他のパートの音を良く聴いて、特に2パートは1パートの動きに確り合わせる。

繰り返しなしで2グループに分かれての合奏。 その後1名ずつ2グループの演奏。関根・熊谷組は残念ながら音程が中頃からズレが4小節程度連続してしまう、また繰り返しから最後2小節まではしっかりインテンポで、その後リタルダンドに変わるまで完璧である。

 我々のグループは小生が1パート、石井さんが2パート、スピードが美しく揃わない、その後は良く合ったが、残念ながら美しく響くというわけにはいかない。

 その後一人ずつ2パートに分かれて演奏したが、残念ながら良く響き合うといった演奏にはならなかった。

次回もう少し他の人のパートを良く聴いて合わせる努力をし、もう少し美しさを狙った音出し演奏をしよう。 2009年7月8日 音階練習 Cdur3オクターブ、Edur 1ポジション1指をまず確り押さえて演奏、ポジションの連関表を頭の中に入れる必要があり、

コピーを取り、ザScale集の最後のページに追加、これからはこの表をしっかり見ながらポジションを明らかにしたい。

 トロイメライ 午前中、孫が吹き出物を額に出して来宅、しばらく孫と共にチェロを弾き、その折楽譜を見てドドソソの歌を歌っていたのを忘れ、譜面台にトロイメライの楽譜を放置して教室に出かけ、始めて楽譜の忘れのミスをしてしまった。

 本日以降本番まで残り6回しかない。お隣の三浦さんに楽譜を見せてもらいながらの練習。 MM=42~50程度のスピード、繰り返し有りで何とか最後まで縦の揃いは不完全ながら演奏。

2回目は中間高音部の所で演奏不可になり中断。3回目少し早めMM=50程度で先生が1パートを演奏、2パートは1パートを良く聴いて和音のハモルところ、2パートの聴かせ所などを確認。

本来は縦線の合わせをしっかりというところがまだ上手く合わせられない。 下パートは上パートを良く聴きながら、上パートも最初の出だしドファー伸ばすところを下パートファファと出た所でシンコペーションの半拍遅れてミファラと出る。お互いに別パートを良く聴いて演奏すること。

 録音するなり、メトロノームに合わせるなりの練習要。 下パート ドレドシソラファー たっぷり歌うところ、その時上パートは良く聴いて次に出ることが必要。もう少し良く練習をして合奏に臨むこと。

 少なくとも自分のパートは完璧にしてから合奏に臨む。全員が独奏ではないので、お互いのパートを良く聴いてそれに合わせて始めて音楽が成り立つ。 縦線はまず合わせて各パートは歌うところをよく聴いて合わせ、ハモリ、強弱を付けて音楽を作り上げていくことが大切。

当日本番(9月5日ヤマハ銀座仮店舗ホールでの先生の教室メンバーだけの発表会)服装は白シャツ(ネクタイ)黒パンツ、女性も男性に合わせるかとのお話し。

スラーの8分音符の繋がりは次の音は確り音符長さに伸ばしてタップリ歌うように演奏する。上パートを確り聴いてハモリ確り合わせる。 最後は亀井さんの頭を振り下ろしたところで最後の音を合わせる。

弓も亀井さんが離すまで例え弓が終わってしまっていたとしてもしっかり押さえておき合わせて弦から離す。縦のラインがやっと揃いつつある。

まだ2パート10~16小節当たりで、3拍半の出だし、タイのラ音1拍分など、音長さで上パートと合わない。2パートの音長さ不正確要注意。

2010年7月1日
朝は自宅で10時半から11時半まで練習、その後教室でも開始の1時間前はクラスがないので、開始30分前に到着、練習。

音階練習 Cdur、Ddur 拡張のC弦、D弦とD弦、A弦の指間隔を確り変えないと返りのC弦、G弦が音程低くなり、行きのD弦、A弦は逆に高くなる。

FdurはOK。 教則本(2010年から新しい教則本4冊目)Chapter 14 Warming Up A 2 ソレラ、ラレソでは各音、ドンブラコー ドンブラコーと揺れるが如く右手弓の動き滑らかに。

 先生の右手を良く観察すると各弦で弓との直角を守り、素早く弓の角度が変化し弦に触れていつ間合いが長いように思われる。小生も弦に対して弓の直角を守ろうとするが、先生のいうドンブラコーの円弧を描く運動で各弦に触れる間合いは非常にすくなく感じられる。

 ドンブラコーの円弧よりカクカクカクと各弦直角方向の弓の動きの方が優先されている印象。各弦に触れる時間が出来るだけ長く、空を切っている時間は出来るだけ短くが滑らかさ表現では大切なところと思われる。

弓は重心近くを使用し最後の音は十分な長さを保つことが重要。段々に遅れていくのでメトロノームに合わせ、その幅の中に3等分に入れること。

右手弓は出来るだけ力を抜いて滑らかに。 教則本 Chapter 14 Warming Up B 2 拡張時の左手人差し指曲がりの指摘、十分伸ばすというより、自然に人差し指を伸ばした状態で弦に対しては斜めに指先が接触している印象。

 左手の指が出来るだけ弦の位置上に保持すること。リズムに変化をつけ、8分音符2個ずつスラーの形式と4個スラーの形式で2種練習。

教則本 Scale Adurの音階練習(♯が「ドファソに3個)ボーイングヴァリエーションでは3連音符選択し実施。 教則本 P8 Exercise 3 3連音符の練習、ソ音、レ音は1/2ハーモニクス=フラジオの練習。

フラジオ音は実音との差がないように、確り左手を弦の上に置いてから(但し弦が指板に直接触れない程度に)確り弓で弾くことで音のカスレを防ぐ。 実音のフラジオ音との音質の差を取る。基本的に最初から最後まで出来るだけ滑らかに次の音との間を詰めて、左手指を弦上に残しながら繋げる、滑らかさが重要。

 いきなり個人の演奏チェックがあり、早めに事前練習をしておかないと教室でシドロモドロになってしまい、良くない。

事前の教則本チャプター練習要! チェロアルバム(2010年年初から新しい曲集、何かと完全に終了しない楽譜本を買い替え購入、これで曲集は4冊目) P8 アントニオ カルロス ジョビム 「イパネマの娘」 リズムが大切、取り敢えず一回ぶっつけ本番後繰り返し練習。

最初の4分音符はボン、ボーと長く伸ばさない、短めに柔らかく。D部第9小節~12小節8分音符と8分休符のリズムバラバラ。 最後のコーダ2小節、8分音符のアーティキュレーションと4分音符の3連音符の入り、音長さ不明瞭。4分音符でリズムの括りを付ける指示があり、楽譜を詳細にチェック、小生は1拍をV字でマーク実施。

 その後男性は基本の4拍子を手拍子で、女性はその上にイパネラのリズムで手拍子合奏連習、男性も基本の4拍子だが女性に吊られ乱れない注意。

交代して女性が4拍子基本リズム、男性がイパネラリズムでしかも声を出して歌いながら手拍子。先生が男性側につき、手で合図を頂けたので何とか上手くいった。 C部第3小節目、4分音符、8分音符、8分休符 の手拍子は頭の中に入れることを指摘、A部第3小節目、4分音符、8分休符、8分音符 とのリズム差、頭の中が理解出来たら、やっとその差に気が付く。

先生によるとリズムは生まれて持っているもの、誰でも出来る、何とかなるものということで、まずはメトロノームあるいは誰かに基本のリズムを付けてもらって、それにイパネラリズムを載せる連習を実施するよう助言。

 次回小生は土岐の佐渡山陶芸工房に出かける約束があり、3週間抜けるがしっかり練習要! 自宅での練習はヤマハのエレクトリックチェロをアンプ無しの静かに練習。

音量は普通のチェロに比較して1/10程度、微妙な音のニュアンスは聴き取ることが困難ではあるが、左手指押さえ、あるいは右手弓のボーイングはそれほど違わないので、音量の少なさだけで、この方式を選んでいる。

それでも暑い日など窓を開け放しては練習出来ないので、我が家ではほとんど使用しないクーラーをこの時だけは使用しての練習。

 同じ教室の亀井さんは同じくアコースティックチェロでは練習せず、専らエレクトリックチェロ(サイレントチェロ)をイヤーホーンを装着して練習しているとのこと。 皆さん確かに練習は苦労されている!!ご苦労さまです!!

2010年12月27日
17時30分   階下の奥さんより

「その技量で消音器も装着しないで、誰に聴かせようというの?!!階下は天井全体が響いて五月蝿い!!!」

反省 調子に乗ってアコースティックチェロ(昔からの木製チェロ)をギーギーガーガーやってはいけない。アコースティックで練習する時はせめて消音器を装着励行。

この消音器もさして音は消せないので、やはり練習はエレクトリックチェロでやる方が、他の人の迷惑を掛けることが軽減される。

また足で床を踏み鳴らしてリズムを取る癖が付いてしまっているが、楽音に加えて、足踏み音が和風家屋では階下に響く。これも合わせて注意しよう。さもないと楽器演奏禁止の大号令が下される危険がある。

2011年7月14日
またまた目出度くもない小生の誕生日 音階練習 Amajor、Bmajor 小生のサイレントチェロは指押さえの位置が既に跡が残り、そのために、それを目安に音程を取るのが非常に容易くなっているが、教室のアコースティックチェロ(暫くはサイレントを使用していたが、教室の利益が出たか、本格的チェロに交換された)は新品で、基本的に自分自身の身体で左手ポジションを憶えておく必要があり、Amajorでの左手拡張が上手くなかった。

以後余り指板上の左手指を目で確認することなく、音程が出るように訓練すること大切。 発表会全員合奏の曲「見上げてごらん夜の星を」 今年も川崎ミューザ市民交流室で8月27日、先生の教える他の教室の人たちも一同に揃って、発表会を行うことになったが、

其々のグループ演奏あるいは独奏など終了した跡、最後に生徒全員で合奏して終了するのが本曲であり、その楽譜が先生から配布された。

我々クラスは先生が予め決めておられ1パート担当。主にメロディーと2回目繰り返しで後のハモリの下パートを演奏する形。

2パートは奇妙なハモリのあるメロディーと我々の主旋律の時はお休みで少し面白みに欠ける印象。3パートは低音部といくつかのリズム演奏で興味ありそう。 右手弓の動きは先生から指示があり、それに従う。

D.S. To Codaがあり、演奏順序間違えないように注意。 発表会での我々グループの演奏曲 チェロアルバム P20 バッハ「目覚めよ呼ぶ声あり」 早速先生が所要時間を測定しながらの本番並みの演奏、小生はアコースティックチェロは山梨小屋に置きっぱなしで、日頃はサイレントチェロで練習し、アコースティックチェロに触れるのは久し振りであったため、ポジション移動が上手く行かず、途中でダウンしてしまった。

やはり楽器は慣れていないと大変なミスを犯しかねない恐ろしい印象。早く山梨小屋で練習しないと本番は上手く行かないかも!!B部の手間、ドレミがやはり合わない。

C部前のtrのソラソラーー音は揃わなくとも良いが、一旦切って最後ソラシーで終わる音は全員で確り合わせる。

小生は左手16分音符も連続フレーズの中に拡張の指使いがある時、音の粒が揃わない。

同じく発表会で演奏する2曲目 ベートーベン 「Ich liebe dich」 後半16分音符が休みの後、出遅れ。

最後の小節ドソミ音は減衰させ演奏が終息するよう音で表現すること。次回練習では更に強弱を付け、音にボリュームを持たせる。

チェロの胴体裏が響くような演奏を。右手弓を強く弦に押し付けてもダメ、弓の幅を一杯に使用し、弓は弦に直角に当て、力は抜いて弦をしっかりひびかせることが必要。

ミューザホールは前回の大森体育施設よりは間違いなく良く音が響くということではあるが、まずはやはり楽器自体を良く響かせることが肝心。

 もう一度初心に戻って、弓と弦の扱い、手の動き、弓の持ち方、弓の擦り方など復習すべきである。

2012年7月19日
また教室の発表会開催が迫り、この5月の練習日に選曲。小生は中々手ごわいバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」を挙げ、先生が他にもう少し優しいかと思われる「早春賦」「シャル ウイ ダンス」を推薦されて、結局全員で目隠しの挙手にて「主よ、――」に決定。

7月11日よりずっと山梨小屋で基本的に「主よ、――」のみを練習して教室に臨む。 音階練習 Cmajor 「主よ、――」の基本である3連音符スラーとして練習。 Fmajorも3連音符スラーリズムで練習、その後3拍を数えながらのロングトーン練習。

 「主よ、人の望みの喜びよ」 山梨小屋での集中連習の甲斐があってか、途中全員合で残念ながらダウンしてしまうことが2回もあったが、長い曲でお隣の演奏が良く続いていたので、これに載っかって何とかなった。

合奏の基本は良く他の人のパートを聴いて、自分だけに没頭・集中しない、自らを離して遠くにいる自分の演奏を、他の人の演奏と一緒に聴くように演奏するよう注意がある。

合図役の亀井さんの123の掛け声で始めたが進む方向がバラバラで止め。 亀井さんから順に各自自らのパートを独奏。 亀井さんは1パートであり、やはり3連音符の3番目の音をもっと長く思った以上に長くしても良いとのコメント。

 2パート担当の藤岡さんも伴奏のような音ではあるが、これもある種のメロディーであり、もっと流れるような音作り、滑らかさが欲しいとの指示。

3パートの熊谷さんは基本的に3拍を確りカウントし低音をハッキリと出すこと。 4パート担当石井さんは1パートに合わせてベースになる音を確り、1パートを聴きながら確りリズムを刻み、1パートが例え振れても、確りとフォローすることが大切。 これが合奏の醍醐味。

小生の担当は初めから終わりまでメロディーを引き続ける役で、3連音符が切れ切れになってしまっている、もっと大きなフレーズ作りをするような滑らかな演奏が肝要とのこと。 亀井さんのパートを先生が加わって演奏されたら、確かに曲中の合唱メロディー部分が合わせ易かった。

 石井さんは付点4分音符を1拍刻みでしっかり演奏しているからということで、我々生徒だけで本番演奏はしてもらいたいが、場合によっては主メロディー演奏を2人で担当している形なので、4パート一人で音量的に負けないよう先生が加わっても良いかと先生が感想を述べられた。

先生に加わってもらったら鬼に金棒、我々に弓棒で万々歳だが、正直みっともない印象。後で演奏を録音し聴かせてもらったが、やはりメロディーパートはズタズタ、切れ切れ、1~4パートは揃わない。

 先生の表現では只単なる雑音にしか聞こえないとの酷評。 練習開始前、現在来日中のベルリン・フィルの12人のチェリストの演奏に同じ「主よ、――」があり、アイパッドに録音してくれたのを聴かせてもらったがその滑らかなこと!!

変ホ長調を少し下げた調律で演奏しているとのことで、自らこの演奏に合わせて弾こうとしたが、音程違いが気に掛かり出来なかったとのお話しだが、その滑らかな演奏は見事としか言い様がない。

 ほとんどチェロを演奏している様にも思えない、メンバーが12人で演奏しているとも思えない、 やはり4パート3人ずつで演奏しているだろうと想像するが、タイミングの良さ・一致は驚く程である。

目標としては到達出来ない高いところではあるが、亀井さんがCD―Rにして頂けることになった。やはり合奏をするためには自らのパートを確り自分のものにして臨むことが肝要。

自らのパートが余裕を持って演奏出来るまで高めておかないと、合奏するのに他の人のパートを聴いて演奏出来るような余裕は生まれてこないということで、更に確実な個々のパート練習励行。

この日の最後の練習を熊谷さんが録音してもらえたが、画像も音声もなんという優れモノ!!教室が終わって聴かせて頂いたが、何とした合奏!ほとんどタイミングが合っていないバラバラ、メロディーはやはりブツブツ切れ切れ、ほとんど合奏していると思えない代物!!

1ヶ月少しで本番、本日朝は猛暑で汗カキカキの閉じ込め部屋での練習、更に更に頑張らねばお話しになりません。 尚子がヨーヨーマの演奏会に孫を連れて行きたいとメールしてきたが、これはダメで、小生の発表会なら大歓迎と言っておいたが、本番でどんな演奏になるだろうか?!

 2013年7月11日
35度の真夏日が4日連続、2階の部屋でエアコンを28度に設定、締め切って練習後、教室へ。

 新しい先生の2回目のレッスン、前任の先生は出産でお休み、復帰したいと希望されたが、教室側が断り先生が交替された。

また発表会を8月31日に設定、演奏予定の曲を新しい先生に引き継ぎ、面倒をお掛けし、練習を続ける。

演奏会発表の曲名はフォーレ「シチリアーノ」 変ロ長調音階練習 A弦♭シドレ、小指位置を目標にしておいて、次の1指A弦上をスライドさせレ音の位置に移動、レミファ音を弾く。 音階練習で左手構えをしっかりさせるため、1ポジション1指だけで音階練習をすると左手形状を音程の関係が良く分かる、

4ポジション以降は親指が伸びていく形、その前は人指し指の裏側に親指がある形式を変えないでズラして音階を取っていく、半音階ずらし、全音階ずらしを身体で憶えて行くこと大切、

本日は「シチリアーノ」の転調部を徹底的に絞られた。 未だ我々は音を出すのに精一杯のところを、音楽性が求められており、大部荷が重そう。 ロングトーンは出来るだけフラットに奏するまた手元の弓は使わない、弓先で演奏する。

4、5、6パートは出来るだけ音は大きくしかしビビらないこと、また弱くなり過ぎると弓が踊らずしっかり単調さを継続して奏する、部分的に聴かせどころは確り全面にでるように。

1、2パートは本来の作曲のピアノ伴奏パートを担当し、1パートが主メロディーであるが、確りリズムを刻む手法で音を出す、余り大袈裟には歌わない。

最初のロングトーンをそのまま持続するような響きが良い、途中移弦などが1、2パート共に出てくるとリズムがバタバタ感が残念ながら表れてしまう。

 移弦は重音で2弦を同時に奏するイメージでその音に無関係な弦側の弓をほんの少し持ち上げる形で演奏する(移弦のスラー表現奏法)よう確り表現せよ。

4分音符、8分音符のスラーは移弦表現で出来るだけ滑らかに、又1パート一人で半分毎に分担したが、二人で演奏、但し出来るだけ小さな音、そのためには弓の手元は使用しないで、弓先から中間のところで弾く。

 特に54小節目ミーシミーファ音オクターブ下の音では手元に力が入り過ぎはダメ、滑らかに。変調部の1パートは二人合わせてPP音であるから、一人は出来るだけ小さくするが、しかし、確りは歌う。

2パートは確りリズムを取り54小節、60小節など付点4分音符は余り大袈裟に歌わないでリズムを取る感覚で演奏20回x5講座=100回ぐらい練習すれば絶対に上手くなる!! 自主練習のシミュレーションで一人が確りリズムを取る役割をすれば(その間演奏はしない)合奏は良くなる。

足踏みリズムが二人同じ音を出しながらバラバラ、途中で合うのはNG。4重奏などで自分のリズムで足踏みをし、合わないのを見かけるが良くない、基本的に足踏みリズム取りは止め!!本番で上がることのないように練習中にしっかり上がりを経験しておく。

 舞台に上がる前にまだ逃げが打てるから上がってしまう、舞台に出てしまえばやるだけということで度胸を持って臨むしかない。

もっと音楽性を確り出す。スピードは8分音符=114目標、8分音符=100は少しゆっくり。8分音符=104で練習。

全体を通して最後の部分は曲で最も大切なところ、1、2パートは8分音符のリズム、分散和音練習の努力必要、しっかりリズムを崩さない、次回は全員がメロディーを確り身に付けるため主旋律を演奏して見ようと先生が提案。

チェロアルバムにシチリアーノの楽譜掲載があるが、中間部が欠けたもの、次回先生がコピー楽譜持参される。 ピチカートは親指を指板側面に付けて人差し指1本で弾き分け、スピードが速い16分音符は特にこれが必須、

8分音符の時は手首全体が離れても良いが、基本的に親指は指板に添えて演奏する。 今回のような分散和音で段々音が高くなる上昇音階では、最初は小さく、最後に強く一番最後の音で親指が離れても構わない、

ピチカートは弦を押さえる左手が大切しっかり指板に弦を付けるため左手肘はやや上がり気味で確り指先が指板に当たるように押さえる。 今回の曲は大変な難曲、リズム感はシンプルな印象ではあるが、その分逆に難しい曲。  



                 了                                                                      
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      Written by Mr.Takeda
                     ('13.12.24.)



                          UP


                        si4-yuki35






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10. 「戎 舁」ebisukaki By Tsubota




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Tsubota.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






           「戎 舁」 
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 プロローグ



今日は2013年の正月2日、石油ストーブを強にした午後、汗ばむムッとした台所で、家内の作った蓮根と蒟蒻の煮物をかじりながら、酒の入ったボーッとした頭で何げなくテレビを見ていると、戎座人形芝居館の「ゑびすかき」とかいう聞きなれない名前の、妙な連中のことを紹介していた。

 今は廃れてしまっているこの「ゑびすかき」を現代に復興したのだという。連中は、といっても男女の二人組みだったが、「西宮恵比寿神社」に所属しており、神社のイベントがある度に動員されて、盛んだった当時のままに「えびすかき」の演舞実演を再現しているのだそうだ。

「ロミーゴ70歳・記念文集」のテーマに何を書こうかと思案していた折から、これは面白いかも知れないぞと、早速Webで調べることにした。すると次のようなことが色々と分かった。

戎は「ゑびす」の当て字で、他にも恵比寿、恵比須、夷、蛭子とも当てる。「ゑびす」は、狩衣、指貫に、風折烏帽子をつけて、右手に釣竿を持ち左手に鯛を抱えた姿をしており、「大国主命」の別名である「蛭子の命」を信仰する日本古来の「土着神」として信仰されていたようだ。

 奈良時代後期からは、縁起のよい富貴の象徴として民衆に広く知られるようになってきており、また海上や漁業の神、そして商売や田の神としても、認知されていたという。

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余談だが、大阪弁では「えべっさん」ともいい、関西人なら誰でも知っている今宮神社と西宮神社の「十日恵比寿」は、現在でも大変な集客力があり、また全国的にも有名だ。

 ところで、当て字一字で「戎」と書いた場合は、戎の字が中国の周王朝を苦しめた、北西方に住む異民族・西戎(せいじゅう)のことを現わすと、漢字字典には書いてあることから、「当て字としては適当ではないのだろうなあ?」と私は思ったが、「戎舁」が普通名詞化していることから、タイトルには使うが、本文中では、「ゑびす」もしくは「恵比寿」と表記することにした。

更に、室町時代に入ってからは、この日本の「恵比寿神」に、印度のヒンドゥー教に由来する「大黒天」、「毘沙門天」、「弁財天」、また中国仏教から輸入されたとされている、「福禄寿」、「寿老人」、「布袋尊」を加えたこの七神を「七福神」と称していた。

 日本、印度、中国の神々が一緒になって宝船に乗っている姿から、この「七福神」が、民衆の間では、幸運と福運、特に金運をさずけてくれる七神として信仰を集める対象となっていたのである。

中でも、恵比寿と大黒天、いわゆる「ゑびす、だいこく」は、富貴の代表格として民衆に崇められる存在になっていたとされている。

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一方、舁は「かき」と読み、紐で吊るした荷物を肩や首にかけて運ぶ様子を表しているという。

また、「ゑびすかき」は、その他「ゑびすまい」、「ゑびす箱廻し」、「人形廻し」、「木偶箱廻し」、「傀儡廻し」等と、地域によっては色んな呼び名があったようで、室町時代後期から安土桃山時代にかけて盛んになったが、江戸時代に完成され、最も盛んに行なわれていたと記録されている。

 では、そもそも「戎舁」とは、何なのか。 それは、傀儡子の男が、恵比寿人形と狩衣の着物やお面、張りぼての大鯛や小鯛、また釣竿や船そして海を現わす幕、魚や海老等の模型が入った「茶道具入れの程の箱」を横向きにして首から吊るし、ペアーの女が奏でる鈴や鉦、太鼓や鼓の調べと共に、女の踊りと口上に合わせて、この箱の上で、操り人形の「恵比寿神」が船に乗って海老で大鯛を釣り上げる様子を人形芝居にして舞わせることをいう。

加えて、この人形芝居の「ゑびすかき」を各家々に門付けして廻わり、神社のお札や開運の品々を売り歩いたことを言うとされている。

 操り人形のこの芝居は、まさに立体紙芝居といえる。当時としては、今で言うところの、いわば3Dカラーテレビの如き迫力があり、多くの民衆の耳目を集めたに違いない。

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また、淡路の「ゑびすまい」の当時から、この人形遣いの技術と操り人形の動く仕組みも大変に進化発展して、「ゑびすかき」とは異なる別の道へと分化した、とも記述されている。

即ち、阿波の傀儡人形から義太夫節と結びついた人形浄瑠璃に、更には現代の文楽へと完成されていったようである。

この「ゑびすかき」の最盛期は、江戸時代であったようだが、その後、西宮恵比寿神社が、「蛭子の大神」、「天照大御神・大国主大神」、そして「須佐之男大神」の三神を奉斎していることから、西宮神社が、「ゑびす」の総本家として君臨し、西宮「ゑびすかき」は庶民の関心を大いに集め、明治の時代まで綿々と続いてきたのである。

 そこで、

「何事も取材が先だろうなあ。これは一度、西宮恵比寿神社に行って現物を見るべしだなあ。10日は混んでいるだろうから、3日だったら空いているかもしれないぞ。今年の初詣先としても、丁度良いしなあ」

と私は考え、取材日程をその日に決めた。

そして、翌日の霜柱の立つ朝、JRに乗る。電車に乗るのは昨年11月末の、奈良「ロミーゴの会」以来ではあったが、今日も電車の切符を買うのに、緊張して指先が震える自分に嫌気がする。

 しかも、電車が来るまでに、まだ30分以上も時間があるではないか。時計を見ずに来たから、早く駅に来すぎたのだ。 老化の進行が、今までよりも更に一段と進んでいるようにも思われる。

やっと来た電車の、尿が近くなっているので心配だから、念のためにと2号車に乗る。 「老化は、いやだ、いやだ。そろそろエンディングノートも書く時期かもしれないな。

来年には70歳になることだし」等と思っている内に、私は、とうとう寝こんでしまった。 





1. 「ゑびすかき」キャラバン



淡路要は、丁度明治元年には、この「ゑびすかき」を「西宮恵比寿神社」を根城として生業にしていた。

元来淡路島出身である要の一家は、代々傀儡子として傀儡人形を巧みに操り、特に人情ものでは他の追随を許さない家伝の技芸を持っていたという。

しかし兼業漁師の父親が不慮の事故で亡くなってからというものは、傀儡子の仕事も極端に少なくなりとうとう食いつぶしてしまい、今から3年前に、要は19歳にして、遠縁の叔父を頼り海峡を超えて明石へと渡った。

 漁師をしていた明石の叔父も病気がちで経済的には大変に困窮しており、要は居づらくなり、やむなく明石から尼崎そして西宮へと落ちていく。 人伝てに西宮には、傀儡子たちが厚く信仰していた「百太夫」という道祖神の神社があり、傀儡子仲間の多くが集まっていると聞いていたからだ。

その「百太夫」は、西宮恵比寿神社の末寺にも当たることから、総本家「西宮恵比寿神社」の下級使用人としての下働きや雑用の仕事も多くあり、好都合だったという。

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22歳のとき、要は、傀儡子としての腕を見込まれて、親方から西宮「ゑびすかき」の傀儡子仲間にと引き抜かれる。親方は、要とは同郷の、淡路島は仮屋出身で、名を正井与兵衛といった。

当時の「ゑびすかき」は、仲間二人でチームを組み、親方から貸してもらった「ゑびす舞」の道具一式を肩に担ぎ、親方が神社から仕入れた御札やお守りを預かり、また高価なものでは、8cm程の高さがある、銅製金メッキの恵比寿像と大黒像、等々の開運グッズを携えて、 「恵比寿神」の人形芝居をしながら、家を一軒一軒と門付け開運祈願しつつ、西は播磨から近畿、東の遠くは三河から駿河方面までキャラバンして回り、正真正銘「西宮恵比寿神社」製の開運グッズを売り歩いていたのである。

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 このキャラバン隊を、親方は38組も持っていたという。こうして要は、不幸中の幸いにも、彼の一番得意な仕事にありついた。

しかし、要は傀儡子の仕事は上手だが、プライドが高く口下手で、開運グッズを売るのが下手だった。

そこで、愛想がよく人あしらいも上手い、何事にも動じない、鈴や鉦、太鼓や鼓の操作や口上も特上な、美人の女とチームを組まされていた。

親方が要の人となりを見抜き、親方の玉緒という次女を相方としてあてがって呉れていたのである。 よく通る、堂々たる大きなハリのある声で、踊りながらに演じる、玉緒の「ゑびすまわし」の口上はこうだ。

 まずはめでたい、まずまずめでたや もひとつめでたい 西宮からゑびすさんが 生まれ誕生はいつぞと問うなら

まずは生まれは福徳元年正月三日 虎がいってんまた卯の刻に なるよならずよ 信濃の国の竹井が森で 金の木陰で やーすこんがらしょと おいべっさんがご誕生なされた

 <キンカラコンコン、トントントコトン>鈴と鉦や鼓のリズミカルな音

なされていうた 昔馴染みか お松さんがお酌 あっ布袋さんがうたいで ひきうけどぶどぶ さしうけガブガブ こんが重なる 

海がきらめきや おなかうてしょで 足下ひょろひょろ おいべっさんが たらふく酔うてきた 酔うた 酔うた 酔うてきた

<コンカラキンキン トントントコトン>鈴と鉦や鼓のリズミカルな音

よんべ生まれたエビの子を さしてぴらり投げ込みゃ 何がまた食いついた 何がまたひっぱった 

大鯛 小鯛 これから先ざきゃ 稲作良ければ 麦作良うて商売繁盛 福が満々この家のうちへ 治まる御代ぞ おいべっさん よっ目出度いよ

<キンカラコンコン、トントントコトン>鈴と鉦や鼓のリズミカルな音

おめでとうございます

(東京外国語大学論文集第82号 友常勉氏の「門付け芸の精神史―阿波の木偶箱廻しと、出雲の大黒人の詞章・楽曲から」転載しました。

(因みに、これは実証に基づいてき再現された口上ですが、音については筆者が加えました。

 また、通常は「三番叟まわし」の口上の次に、この「夷まわし」の口上を謡うとなっていますが、「三番叟まわし」が長いので割愛しました)


そして、彼等は、茨木から高槻、また伏見から山科、さらには草津から野洲方面へと「ゑびすかき」行脚を担当していた。

丁度、要が25歳で玉緒が22歳の時のことで、二人でチームを組んでから、もうかれこれ3年にもなっていた。 




2.野洲の白井家



「玉緒はん、今日の宿は、野洲の「妓王寺」という尼寺に決めたぜ」

「要さんに、お任せしますわ。はい」

彼等は、訪問した地域の寺を主に宿泊場所として活用していた。今のようにビジネスホテルがある訳もなく、だから寺が安くて、かつ一番安全だったからだ。

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 「この寺はなあ、平清盛の寵愛を受けていた野洲出身の妓王という白拍子が、清盛に頼んで野洲川から12キロにも及ぶ灌漑用水路をつくらせたそうやで。その人工河川が、ほらそこに見えている西日を反射して光っている、その川がまさしく祇王井川らしいよ」

「その水路のおかげで、この辺りは近江でも有数の米どころとなったといわれているそうや。せやから地元の人びとが妓王の徳をしのんで建立したのが、この『妓王寺』なんだってよ」

「なんで、そんなことまで知っているの」

「さっき門付けして、招福の舞をした家のなあ、白井家のお婆ばさんから、詳しく聞いたんや。そして、もう今日の宿泊の連絡も入れてもらっていますのや」

「ああ、私が大旦那さんに恵比寿と大黒の金色銅像を買ってもらう商談をしていた間の話ですね。よかったわね、要さん、ありがとうございます」

「ああ、それから、寺の境内には、白拍子の妓王と妓王の妹、それから彼女等の母親の墓があるそうやから、明日の朝に、おまいりしてから出発としましょうかねえ」

 「はい、分かりましたわ」

この辺りは、白井という苗字の大規模農家が多く集まっていた。

商売は玉緒、宿の手配は要と役割を決めていたから、宿の様子や住職の人となりを聞くのも彼の役割。

今日、白井家の前の広場をかりて舞った「ゑびすかき」は大評判で、何と7~80人にものぼる近所の人々で黒山となり、お札やお守りが普段の倍は飛ぶように売れた。

更には、高価な金色の銅像二対も白井の大旦那や、大旦那の友人達が買ってくれたこともあり、合計で5組も販売できた。こうして彼等は聞いていた通りの親切なこの尼寺に、大威張りで宿泊することができたのである。

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 「玉緒はん、明日からはなあ、ここの先の朝鮮人街道を通って、仁保から十王へと歩くつもりだよ」

「ああそれから、玉緒はんの寝間は、住職の尼さんの隣で別の場所を用意してもらっているから、どうぞ、そちらの方へ。明日があるから俺はもう寝るぜ。じゃあおやすみ」

 玉緒は、子をはらんでおり、要が配慮したのだ。

野洲から仁保と江頭、安土から彦根、そして三河から江戸まで続くこの街道は、室町時代から始まり江戸時代に最盛期となった朝鮮通信使達の大行列が通った道ということから、現在でも朝鮮人街道と、この辺りの地元では呼ばれている。




 3.玉緒の知恵



 翌朝、妓王寺から朝鮮人街道へと入り、日野川に掛かっている仁保橋を通り、白井のお婆ばから教えてもらっていた、梅村弥三右衛門家へと急ぐ。

その梅村家は十王町の角にある旧家で、聞いていた通りの、門構えが二間もある誠に見事な大きな造りである。 物知りな白井のお婆ばから聞いていた話はこうだ。

 「その昔、第55代文徳の王子である推喬親王が、この辺りの道を通って京に向かう途中で急に腹痛を起こされてな、たまたま近くにあった地蔵堂の社で体を休めていたそうな」

「それを見た村人達がなー、ビックリして、ちょうど親王が鹿の皮で作った袋に携帯されていた郁子(むべ)実を服用されるようにお勧めしたところ、たちどころに快癒されて、急いでその足で京に向かわれ難なきを得られたというそうやで」

 「この故事からなあ、かの地は、王の命を拾いたるという意で、この里を”拾王町”というようになったらしいわ。そして、今では、”十王町”と書くようになったんやて」

「また、その地蔵尊は郁子(むべ)の地蔵といわれていてなあ、その梅村弥三右衛門さんの庭に今でも鎮座しておられますのや。この地蔵は霊験新たにして、場所を移すと災いがおこるということから、今でも梅村家にそのままにして置かれているとのことや」

 「十王町に、梅村姓が多いのは、この郁子(むべ)の由来から、郁子村(むべむら)と言われていたが、なまって梅村(うめむら)になったと伝えられているのや、はいな」

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なかなかに面白い、由緒正しい歴史のある村のようだ。

要と玉緒のモチベーションも普段よりは高まる。そして、あろうことか梅村家では、「ゑびすかき」キャラバンで過去最大の売り上げを記録して、今日の仕事を終える。

 今夜は、梅村の民代お婆ばから教えてもらった、梅村家の三軒右隣にある、西覚寺に宿泊して、明日は、江頭にある庄屋の井狩家に向かうこととなる。

 さて、彼らの販売戦略は、次のような洞察から来ていたのである。これらは、全て、賢い玉緒の知恵だったというではないか。

「要さん、私たちのチームは、これからは旧家をターゲットにするのよ。なぜなら、旧家は玄関前の土地が広いじゃない。だから『えびすかき』演舞の場所の心配もないでしょ。それから、人の出入りも多いじゃない。また、旧家の人たちは、一様に鷹揚で親切な人が多いわよ」

「なるほどねー、その通りだ」

「更に、大旦那さん達は、縁起を大切にしているから金運グッズが大好きで、すぐに飛びつくわよ。何よりもお金があるし。村の衆も、これを見ていて、大旦那さんにあやかりたいと思い、見習ってグッズを購入するという寸法よ」

 「それから、この辺りの村ではね、間口が一間ある仏間が普通だって。だから仏壇でも一番高いのが売れるそうよ。お金持ちが多いのよね」

 「よくぞまあ、そこまで調べたもんだね。立派なもんだわ」

「それからね、宿泊のお寺の事情にはね、その家のお婆ばに聞くのよ。なぜならお婆ばは寺事情に詳しいし、住職の人となりも良く知っているでしょ。次の販売先の旧家の紹介にもね、お婆ばの情報力と知恵を借りるのよ」

「お婆ばは、旧家同士の繋がりを殊に多く持っているし、また相手の家の事情にも詳しいからね、紹介先にも間違いが少ないということよ。そうでしょ」

そして、これらを実行するのは、男の要の役割だった。玉緒が考え、要が実行するという訳だ。こうして、この二人は、次々とチェーンを繋いでいったのである。二人の四柱推命による相性も最良ということもあり、こうして彼らはこのパターンで、「ゑびすかき」ビジネスのキャラバンで大成功したのだった。
 
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今回の一回の朝鮮人街道沿いキャラバンで、現在の金に換算して、ななんと200万円もの売り上げになっていたというではないか。




 4.親方の真の姿



要の親方は、キャラバン隊の全員に対して、彼等が稼いできた売上金の、それぞれ3割ずつを、暖簾代及び「ゑびすかき」道具一式のリース代として徴収していた。

要のチームに、自分の娘が居るからといっても容赦はしない。 加えて、西宮神社から親方が仕入れた開運グッズ代も神社に支払わなくてはならないから、三割を引いた残りの額の半分を、更に親方は召し上げた。

これが、彼等の決まりとなっていた。しかし、親方は、集めた金を独り占めにすることはなかったのである。

 「ゑびすかき」人形を、今の人形の背丈の倍ぐらいはある、1m20cmもある大きな操り人形へと改造して、更に表情や動きも複雑に操作できるようにした、高度な人形へと操り仕組みに改良を加えたり、また首と右手の主遣、左手の左遣、そして脚だけ担当の足遣いという三人遣い専用の傀儡子達も養成して、自分の金で彼等を訓練していたのである。

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 更に芝居のストーリーにメリハリをつけた脚本や、義太夫節と三味線に連携した演出も用意して、今でいう人形浄瑠璃の原形をあれやこれやと考案することに、稼いだ金を全部使っていた、というのだ。

 親方こと正井与兵衛には夢があった。摂津・西宮の東の、難波のど真ん中で、自分専用の人形芝居の舞台を持つことである。

そこで、ふつふつと頭に浮かぶ人情物のストーリーを、人形浄瑠璃で演じて見せ、人々を楽しませたいという夢だ。

 そして彼は、あろうことか、私財を投げうって大阪は高津橋南詰(現国立文楽劇場の近く)の浜側に人形浄瑠璃の稽古場を開場し、自分の名前も「初世・植村文楽軒」と改める。

その後明治5年には、堀江に「文楽座」と銘を打った人形浄瑠璃専用の本格的な芝居小屋を立てて、名前も「植村文楽翁」と称した。

与兵衛の狙い通り、文楽座は一世を風靡して世の喝采を浴び、初世・植村文楽軒の名は知らないものがいない程だったという。

この人こそ、人形浄瑠璃・文楽座の始祖にして、文楽の創業者である。即ち現在の文楽の基礎を築いた、その人だったのだ。

 しかし、与兵衛と妻テルとの間には初枝、玉緒(要の妻)という名の女の子2人がいるだけで、男子には恵まれなかった。

よって、仕方なく二代目をテルの甥から選び、本名を正井貞蔵、号を植村浄楽と称させた。
Bunrakuniau-08-03

二代目を継いだ浄楽は、堀江にあった芝居小屋を博労町の難波神社境内に転移させ、ここを「稲荷の芝居」と呼ばせていた。

 次の三世こそ、玉緒と要との間に生まれた男の子を与兵衛の養子として、正井大蔵と名づけた。彼は、後に二代目「文楽翁」を名乗る名人となる。

大蔵は、当時芝居小屋での人形浄瑠璃が禁止されていたこともあり、各地を転々として細々と興行を続けていたが、その後に人形浄瑠璃が解禁されたので、博労町の難波神社境内に再び戻り、本格的な文楽の興行を復活させたというのである。

淡路の人形浄瑠璃から文楽はこうして発展し、今日にまで伝えられる。そして、明治42 年の植村六代目のとき、文楽の興行権は植村家から松竹に移った。


また、昭和30年には重要無形文化財に総合指定され、加えて、昭和38年には松竹の手を離れ文楽協会の手で運営されることになる。

更に、昭和59年4月には、国立文楽劇場が開場となり、その芸術的に洗練された形式や内容の人形浄瑠璃「文楽」は、ここに世界的なものとして認められるに至ったのである。

つまり、大蔵こそが、あの野洲の「妓王寺」で玉緒の腹に入っていた、要と玉緒の子、その人だったというのだ。

目出度し、目出度し。ああ、目出度いなあ、目出度いなあ。

 <キンカラコンコン、トントントコトン> 

<キンカラコンコン、トントントコトン> 




エピローグ

 

電車が止まる衝動と、「キンカラコンコン」という音とJRの社内放送で、私は寝覚める。

何ということか、私は、知らぬ間に寝込んでしまい、夢を見ていたようだ。

それにしても、なかなかに縁起のよい面白い夢だった、「まさしく目出度い初夢ではないか。新春のお祝いに『えびすまわし』が私の為に、門付けして呉れたようなものだ」と嬉しくなる。

 JR大阪駅を降りてから地下街に入る。阪神電車の特急に乗り換えてから、15分ほどですぐに「西宮」に着き下車する。

駅の右手前方に、多くの人が歩いていたから、人波の流れに任せて歩みを続ける。 裏から左右から、段々と人々が増えてきて、前の人を追い越して進むのも難しくなる。
道が混んできた先の、歩道の両脇には、出店が並んでいる狭い通路がある。焼き鳥、烏賊焼き、金魚すくい、ベビーカステラ、鳥のから揚げ、焼きそば、鯛焼き、コーヒー、何でも揃っている。

 匂いだけでも美味い。先ほどの夢とこの匂いとで、今と昔が交錯し、頭が混乱する。

そして赤門から神社境内に入り、1月10日の「本えびすの日」に例の福男がダッシュ競走をする石畳を歩く。

すると、入る人と出る人とがぶつかり合い、益々大変な混雑となる。右手のわき道には、若い女が扱う猿回しは出ていたが、「ゑびすかき」は舞っていない。

どこにも「ゑびすかき」はいない。何処もかしこも混雑しており、もう取材どころではない。

002

人をかきわけ急いで本殿の前に着いて、型通りに初詣の拝礼を済ませる。せめてもの記念にと、恵比寿・大黒がセットになっている紙のお札を購入してから、私は早々に引き上げた。 




 
                    <終わり> 




(この短編小説は、私「雅号:dengakudan」の妄想の産物なので、事実と相違するところがあるやも知れませんが、ご容赦ください。尚、下のYoutube2本は当時の「ゑびすまわし」の様子を良く再現していますので、参考にしてください)

西宮神社の末寺である、百太夫(ひゃくだゆう)神社のお祭りの際に、西宮中央商店街で「阿波木偶箱廻しを復活する会」による門付がありました。その
Youtube(1)Youtube(2)の動画です。

文楽が、植村文楽軒の聖地・御霊神社で再興に挑むという最新記事
(2013.2.2朝日新聞夕刊)

                                   Kindle store




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            Written by Dengakudan
                   ('13.01.26.) 

                                   この小説は、ここのWeb文集のために書き
                                    下ろしたものです。その後、2013年10月に
                                             KDLから電子書籍化しました。




田楽男の電子書籍購入はここから


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dengakudan at 10:26|PermalinkComments(0)

11. 「文集作品(写真)」By Mr.Nakagawaji




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Nakagawaji.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






   
ロミーゴ文集作品(写真)




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私の写真経歴は、60才の定年(2004年)を期に
会社OB会のフォトクラブ設立と共に始まりました。

 単にカメラで撮ることが好きから始めた訳で、
技術的、感性的に人に見せられる作品と云えるのが
約 5年は掛ったと回顧しています。

今でも撮影現場で「絞り(F値)、シャツター時間、
ホワイトバランス、ISO感度、露出補正etc.」
戸惑うことが多く奥は深いものです。

今回は過去5年の「大津市写真展」の
入選作品を9点掲載いたします。

どうかご笑覧ください。


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 ①楽しいよ!野外勉強 (2009年)

 naka1
 
菜の花園で小学生の団体に遭遇。
楽しさと可愛らしさを
表現するのに苦労した思い出の作品。
 ( click and large size )


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②湖畔の夏 (2009年)

naka2

びわ湖大花火大会での一こま。夜空に上がる
花火の美しさを追いかけて5年目で
やっとコツが分かりかけた作品。
 ( click and large size )


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 ③感動の軌跡 (2010年)

naka3

 撮影スポットの場所取り競争も大変。昼間から
三脚を立てて夜8時の打ち上げまでガマン! 
これも びわ湖大花火大会のショットです。
 ( click and large size )


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 ④凛として (2011年)

naka4

 赤目四十八滝で初めて「水、滝、岩・・・」に挑戦。
水の流れと濡れた岩の表現に四苦八苦した
思い出深いワンフレームです。
 ( click and large size )


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 ⑤雪の児童公園 (2011年)

naka5

 年の瀬31日の朝大雪に目をさまし、足跡の
無い公園で素晴らしい光景を見つ
けたもうけものの一コマです。
 ( click and large size )


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⑥熱っちち! (2012年)

naka6

 ひまわり園でミツバチを狙った一瞬のショット
です。飛び回り動く被写体を
撮るのは一苦労。
 ( click and large size )


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⑦棚田と残照 (2012年)

naka7

 バスツアーで訪れた能登の千枚田 LEDで照らされた
棚田と夕日が照らす雲とのコラボに感激。12月の
寒さと強風の中で苦労した一時でした。
 ( click and large size )


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 ⑧天空を競う (2013年)
 
naka8

 シンガポールのシティ(金融街)を広角レンズで
偶然見上げたらすごい光景に出合いました。
雲も形と雰囲気も良くチャンスに
巡り合えた一瞬でした。
 ( click and large size )


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 ⑨川面の風景 (2013年)

naka9

 びわ湖から流れ出る瀬田川で 練習するボートを
応援しているかのような「ユリカモメ」
の乱舞を捉えた光景です。
 ( click and large size )


                

 

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   Photo taken by Mr.Nakagawaji
(2014.01.22.)




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12. My Three Water Paintings By.Mrs.Nakagawaji



Romigo
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Commemorating
The 70Years Old
By Mrs.Nakagawaji.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi







     My Three Water Paintings











                (1)楽しい・・・・・京都動物園
miharu1

                                 (Click and Large Size)

                                  




              (2)春耕の前に・・・・・島本駅
miharu2

                                      (Click and Large Size)





                 (3)春待ち・・・・・大覚寺
miharu3

                                      (Click and Large Size)








  

               Painted By Mrs.Nakagawaji.
                            ('14.02.11.)



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13. From Shanghai By Nishino






Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Nishino.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi





                         
      「ロミーゴの諸君へ」
 
毎々、お世話様です。
 
3/01(日)に当地:上海に来て、はや約1か月強になります。
体調も問題無く、元気で過ごしております。
 
現在、工具一つ無かった賃貸工場に、FRPパイプの製造機械設備(コンテナ9個分)を搬入致し、連日、設置作業に取り組んでおります。

当地通関に手間取った関係もあって、作業日程は当初予定より約2か月の遅延を来たしております。
 
当初予定では、連休前に一時帰国致し、当会の出席を予定しておりましたが、上記の大幅な遅延状況下では、「”工場長”の立場から見て、、私用にての一時帰国は到底許されない!」との判断に至りました。

 よって、まことに申し訳ありませんが、当会の出席と原稿の出稿を断念させていただきたく! ご連絡、遅くなり、まことに申し訳ありません。皆様によろしく、お伝え下さい。

 
E-mailed by Mr.Nishino From Shanghai

('14.04.11.)

 




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14.「三輪の山」Mrs.Habu




Romigo
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Commemorating
The 70Years Old
By Mrs.Habu.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi






IMG_1210
ご本人から、辞退の連絡が届きましたが、俳句も付いている自作の
葉書ですから、これが作品であると理解しましたので、
掲載させていただきました。
(2013.01.11.)






si4-yuki35






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15.「七分の1の日々」By Mr.Miyashita




Romigo
Web Cultures
Commemorating
The 70Years Old
By Mr.Miyashita.
Akiyama Arakawa Inomata Kawakami Mrs.Kawakami Kawasaki Shimahara Takatani Takeda Tsubota Nakagawaji Mrs.nakagawaji Nishino Habu Miyashita Yoshizumi




氏は、2015年2月17日に御逝去されました。謹んで御悔やみを申し上げます。 依って、次の文筆は氏の遺作となりました。合掌


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        七分の一の日々



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『伊藤平左エ門クラシック・カメラ同好会』


4年前のこと、新聞で中部大学『伊藤平左エ門クラシック・カメラ同好会』のカメラコレクション展のことを知り、中部大学まで見に行った。

そして、翌年から会員の一人として参画。長年購読していたが廃刊となった雑誌「写真工業」6カ年分(…残念なことに、それまでの約20カ年分は既に廃棄していた)を資料の一部として引き取ってもらったが、昨年一年は体調不良で何もお役にたてなかった。

本年3月には5回目の『伊藤平左エ門のカメラ・コレクション展』を開催するために、メンバーの皆さんは準備に追われている。

 これからは、少しはお手伝いをしなければと考えている。

 後日、竹中大工道具館の展示解説図録「棟梁…堂宮大工の世界」を見ていたら、伊藤平左エ門に関わりのある記事を見つけた。

 伊藤平左エ門は、尾張藩の作事方・伊藤家の九代目、幕末から大正初めにかけて活躍した棟梁で、生涯100棟以上の社寺建築を手がける一方、擬洋風建築や近代和風建築にも優れた技を発揮したとのこと。

その第十二代目が、昭和41年・中部大学建築学科教授として就任、平成7年・名誉教授となり平成16年に逝去されたそうだ。

かなりのカメラ道楽者で、ライカをはじめ名機を愛用したとのこと。 ところで、小生のクラシック・カメラへの興味は、結婚したときに家内の父親からもらった1936年製のローライ・コードⅡから始まった。

最初に購入したのはニコンF、続いてブロニカS2、ローライ35、ライカⅢC・If、そしてニコンS3(復刻版)とFM3A。 それ以外は、親戚や学友・知人・会社の先輩、そして工繊・高橋先生が生前集めておられたクラシック・カメラを奥様から譲り受け、いつの間にか狭い我が家に100台くらいが転がることに…

ガラクタも多いのだが! なかでも思い出深いのは、ハインツ・バースケが設計した「ローライ35」を購入したときのこと。

40年ほど前、大阪駅前第一ビルのカメラ屋を覗いていたら、6台展示されていた。

 価格は4万円…シンガポール製だな!と思ったが、以前から興味を持っていたので見せてもらうことに。

丁寧にみていたら、その内の1台だけMade in Germany By Rolleiとなっているではないか!

すぐに店長を呼び

「これも4万円だよね」

と念をおしたら、店長曰く

「一度つけた値段を変えることはできませんからね!」

とのこと。 即刻入手したのだ…

そのときドイツ製は倍の8万円もしていたのだから。

現在、使うのはデジタル・カメラ、それも息子のお下がり…

ピントだ! 絞りだ! シャッター・スピードだ! と考える必要がないし、即刻、撮影結果が分かり、しかも必要な時にプリンターでアウト・プットができるので! …

何か物足りないのだが、本当に便利だ。

しかし、クラシック・カメラを手に取りフィルムの装填、使い方など考えると、昔の技術者の思いが伝わってくる。

100年前のカメラでも、適合するフィルム(現在は120・135や4×5を除きほとんどなし)さえあれば使用できる。

今は現像・焼付は何とかできるが、これからはどうなるのだろうか…寂しい限りだ




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『京都和敬会』と『天平会』




10年ほど前になるが、『京都和敬会』が会員募集をしていたので入会した。

 『京都和敬会』の主体は「京都古文化保存協会」で年に二度、春と秋に「京都非公開文化財特別公開」を行う。

入会すると、「京都非公開文化財特別公開」の概要案内と招待券が送られてくる。 そのほか「特別拝観の集い」の案内がある。

「京都非公開文化財特別公開」は会員でなくても公開時には拝観ができるが、「特別拝観の集い」は会員にしか紹介されない。

 おかげさまで、清水寺・子安塔や東寺・東大門(不開門)など、普段見ることができない古建築の修復現場に、足を踏み入れることができたので大変参考になった。

 一方、昨年の秋、友人から『天平会』に参加しないか、との誘いがあり、 月一の会合に顔を出すようになり、関西の社寺仏閣・仏像の見学・拝観を続けている。

入会してびっくりしたのだが、『天平会』の歴史は古く、昨年12月の例会が第792回とのこと…と言うことは66年前から始まっているのだ!

若いときから古建築と仏像に興味を持っていたので、 定年退職後は京都造形大学や仏教大学のオープン講座、奈良・飛鳥園の仏教セミナー、大阪ACCの仏教講座、神戸・竹中大工道具館の建築関連のセミナー、 奈良国立博物館の夏季セミナーを受講するなど、それなりに勉強は続けてきた。

 また、仏像の顔を描きたくなり、新薬師寺や東大寺戒壇院には十二神将像と四天王像を観(看)るために10回以上は通ったものだ。

仏教大学・飛鳥園・ACC仏教講座などで10年以上、近畿の社寺仏閣を中心に約450の社寺に参拝し、仏像の拝観を続けてきた。

一昨年からは、各講座とも講師の方々が高齢になり、中止になるケースが多くなったので『天平会』は、いまの私にとって欠くことのできないもの、 そして楽しみの一つになっている。

一方、竹中大工道具館が本年10月、移転・リニューアル・オープンとなるのだが、セミナーは何時から開催されるのか? …少し気になっている。




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 『山歩き』





最初の山歩きは、息子をボーイスカウト(BS)にいれたときから。

 いつの間にかBSのリーダーにされ、月に一度の土・日は子供たちと一緒に、キャンプだ! ハイキングだ! と走り回っていた。 おかげさまで、夏季キャンブで富士山に登ったりすることもできた。

息子がボーイを卒業すると、BS活動から離れ、会社の同僚と一緒に北山・比良山系を中心に歩き回ったし、 愛知県春日井市での単身赴任の間は、北アルプス・中央アルプス・南アルプスに足をのばした。

思い出すのは10年以上前の夏の一日、先輩と一緒に南アルプス・仙丈岳に登ったこと… 私にとっては2度目だったが。

 明け方4時過ぎ、赴任先の家を出て中央高速で駒ケ根へ、そこから戸台口まで一般道を走る。

 戸台口・6時発の村営バスで1時間、北沢峠の手前・太平山荘で下車し仙丈岳に向かう。

 10時過ぎ仙丈小屋に着くと、小屋の主人が 「その年で、元気だね!」と。 頂上に立ち、休む間もなく北沢峠目指し駆け下りる。

午後1時過ぎ、臨時のバスに乗ることができ戸台口に。 その後は往路を辿り、午後5時前には家に着き汗を流すことができたが、 本当にハードな一日だった。

退職後は、月に数回、気の置けない同僚と一緒に近郊の山を歩き回っている。

最近は、近郊のアルプスにはまり金勝アルプス/笹間ガ岳・堂山、湖南アルプス/鶏冠山・竜王山、須磨アルプス/旗振山・鉄拐山、播州アルプス/高御位山などを歩き回ったり、 散歩を兼ねて「京都一周トレイル」や「琵琶湖疎水」を辿ったりしている。



               了
 

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        Written by Mr.Miyashita
                    ('14.01.22.) 


           UP

                          

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16.「石川虚舟の石庭」By Mr.Yoshizumi






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By Mr.Yoshizumi.
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 雅号「石川虚舟」で制作活動をしてきましたが、
70代に入って新たな展開を志し、そろそろ変更する時期と考えています。




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 添付写真はこれまでの代表作で、2007年から製作続行中の《石庭内経図》。




播磨の石切り場跡に「デュシャン・ガーデン」(別名、内丹園)を造園中で、その中央に位置します。


セザンヌの晩年のアトリエも、南フランスの石切り場跡にありました。その意図については目下思索中です。


《石庭内経図》の詳細については、次をクリックして下さい。


http://www.eonet.ne.jp/~kyosyuu/hole03k.html



マルセル・デュシャンの代表作《大ガラス》や遺作は、北京・白雲観所蔵の「内経図」に依拠しています(自説)。


その「内経図」について触れております、拙文『内丹園作庭記』を文集参加作品とさせて頂きます。次をクリックして下さい。


 http://www.eonet.ne.jp/~kyosyuu/garden.html 





                          石川虚舟 
                   ( Kyoshuu Ishikawa)




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    Written & Photo Taken  by Mr.Yoshizumi

                     ('14.02.01.)




                随風庵

  

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dengakudan at 09:56|PermalinkComments(0)